下々の世界においても、「個人としての私って?」といった懊悩とは無縁に、婚家の奥底まで躊躇なくダイブする「嫁」がいるものです。女形が本物の女よりも女らしく見えるように、そういった「嫁」は、次第にその家に生まれた人よりもその家の人らしくなり、最後には大きな権力さえ握ることになる。
聖心女子大学を卒業した美智子さまもまた、就職せずに皇室に入った方でした。美智子さまの時代、4年制大学への女性の進学率は、2パーセント台。大学進学は、特別なエリートや上層階級の女性のみがすることでした。大卒女子が就職することはさらにレアケースであり、正田美智子さんもまた、実家から皇室へと嫁いだのです。
結婚生活の中では様々な苦難があったものの、結果的には、婚家において最も「らしい」空気をまとうことになった、美智子さま。しかし美智子さまの時代は、女性は嫁業に徹するのが当然だったのに対して、紀子さまは女性が自己実現を求める時代に育ちながら、古風な方向で自分を生かす選択をしています。悠仁さまを出産した紀子さまに私が改めて感じたのは、時代に流されない強さというものだったのでしょう。
奇妙なほどに重なっている紀子さまと佳代さんの人生
しかしやがて勃発したのが、小室家騒動。眞子さまと小室圭さんの婚約内定報道の頃までは、「やはり紀子さまの娘、自分の道は自分で見つけたのね」と感心していたら、圭さんの母・佳代さんの金銭トラブルが明るみに出て、事態は風雲急を告げることに。
その時に私が衝撃を受けたのは、小室佳代さんが紀子さまと同い年、つまりは自分とも同い年だということでした。映像で見る限りにおいては、失礼ながらかなり年上の人だと思っていた佳代さんもまた、1966年生まれだったのです。
1966年は、丙午の年でもあります。60年に1度巡ってくる丙午に生まれた女の子は男を食い殺す、といった迷信のせいで、我々が生まれた年は前後の年と比べて、出生率がガクッと下がっている。
2021.06.24(木)
文=酒井順子