我々が就職活動をしたのは、バブル景気の只中。空前の売り手市場であり、大学生は皆、さほど苦労せずに内定を得ることができました。

 さらには我々は、男女雇用機会均等法の施行から4年目に就職した、「均等法第1世代」になります。やる気がある女子学生は総合職として就職し、男子と同じ仕事をすることが可能だったのです。

 だからこそ私には、大学院に進学したとはいえ、就職せずに結婚した紀子さまが特異に見えました。語学も堪能な帰国子女だというのに皇室に入るとはもったいない、とも。

 

 クリスマスケーキ理論が生きていた時代の女性は、4年制大学を出ても就職が難しく、特に学習院のような大学においては、卒業後ほどなくして結婚する女性が多かったようです。すぐ結婚しなかった女性達は、結婚するまでの期間を「花嫁修業中」「家事手伝い」といった肩書きで過ごしていました。

 紀子さまの結婚は、その時代の女性の結婚のように見えました。

「上つ方は、世間の風に当たった女性とは結婚しないものなのか」

 と、私は世間の風を全身に受けつつ思ったもの。

 その後、浩宮さまが小和田雅子さんという、世間の風を知る女性と結婚したことにより、「上つ方の好みも色々である」と、私は知りました。働くことの充実感を知っているプリンセスと、社会に出ずに婚家へ入ったプリンセスという意味において、雅子さまと紀子さまのカラーははっきりと分かれたのです。

紀子さまは40歳になる直前、悠仁さまをご出産

 紀子さまは40歳になる直前、悠仁さまを出産します。その時私は、「この方は単なる古風な女性ではなく、実は底知れぬ強さを持っている」と思ったものでした。

 雅子さまは、「ハーバード」「東大」「外務省」といった眩しい経歴を背負って浩宮さまと結婚し、皇室に新しい風をもたらしたけれど、婚家に適応することには苦労された。対して紀子さまは、社会を見ずに結婚したけれど、だからこそ迷いなく婚家の色に染まり、「嫁」としての役割に徹したのではないか、と。

2021.06.24(木)
文=酒井順子