怒りの中にも哲学と信念のある鬼平がつくれたら
自分自身が演じるに当たっては、それらすべてを足し算して、怒りの中にも哲学と信念のある鬼平がつくれたらと夢を膨らませています。
こうした人物造形や物語の面白さに加えて、この作品の魅力となっているのが江戸の風情です。いつだったか、叔父が実際に着ていた衣裳を見せてもらったことがあるのですが、独自の仕立てになっている部分があることを知りました。着流しで格好良く歩くにはそれなりの技術が必要です。叔父はその確かな技術に加えてさらにそういう工夫をしていたのです。着流しの着こなしや歩き方に限ったことでなく、酒の呑み方、料理の味わい方、独特の江戸弁などさまざまなディテールには自分も徹底してこだわっていきたいと思います。
そこで心強い存在なのが、京都撮影所のスタッフです。過去、数々の撮影で育てていただいたスタッフの方々と『鬼平』という素晴らしい作品でまた巡り会い、長谷川平蔵としてご一緒できるのは幸せな限りです。これまで受けたご恩を返さなくてはと心から思います。
現場はある意味、怖い場所でもある
〈 1979年に歌舞伎座で初舞台を踏んだ幸四郎の、松竹京都撮影所での初仕事は、1989年新春に放送された12時間ドラマ『大忠臣蔵』だった。九代目幸四郎を名のっていた父白鸚が主役の大石内蔵助を演じた作品で大石主税を演じたのである。以後、やはり父との共演で勝麟太郎を演じた『父子鷹』(1994年)、主演作の10時間ドラマ『竜馬がゆく』(2004年)、前述した『鬼平犯科帳スペシャル』、風采の上がらない天文マニアの平戸藩士を演じた『妻は、くノ一』(2013、2014年)などで撮影所を訪れている。〉
『大忠臣蔵』で大石内蔵助が祇園で遊興に耽るシーンは、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵 祇園一力茶屋の場』に相当します。その演目で自分は七代目染五郎を、父が九代目幸四郎、祖父が初代白鸚を襲名しました。ですから物語には馴染みがありました。ひとつ大きく違ったのは歌舞伎では女方が演じる仲居さんが女性だったことです。普通に考えれば当たり前のことに違和感を覚え、ドキドキしたものでした(笑)。
それから三十年以上が経ち、その間にいくつもの作品を通して撮影所の皆さんにお世話になりました。監督さんはもちろんのこと、照明さん、衣裳さん、床山さん、大道具さん、小道具さん、関わっているすべての方々それぞれがどうしたら作品がよくなるか常に考えていらっしゃる。自分の存在は作品のためにあるという姿勢で臨まれるお仕事はまさに職人芸です。そういう方々が結集した現場はある意味、怖い場所でもあり、そのおかげで自分は役者として鍛えられました。
2021.06.07(月)
取材・構成=清水まり