教師をしていた両親は『人は人、自分は自分』という考え方の人で、人と比べない姿勢はここからきていると思います。山田家では昔からご飯は白米でなく玄米。歯磨き粉は粗塩で、テレビは基本NGでした。私のお弁当箱を見た友だちから『ご飯が茶色い!』と驚かれたこともありますが、そういったことも含めて、家での習慣を恥ずかしいとか変だと思うことは一切なかったんです」

 

27歳で演技の道へ…「もう後に引けない」

 オーディションや人気度など、俳優は特に“外側”で評価されることの多い仕事だ。そんな中、山田さんはデビュー作『人の善意を骨の髄まで吸い尽くす女』で主役を飾り、本作を観た入江悠監督が『SR サイタマノラッパー2 女子ラッパー☆傷だらけのライム』のヒロインに抜擢するというロケットスタートを切る。

「“俳優のなり方”の普通がなんなのかもわからないから、入江監督はじめ、その後に声をかけてもらっていろんな作品に出られることがどんなに凄いことか、よくわかってなかったんです。

 でも今まで好きでやっていた芝居が急に“仕事”になり、オーディションで勝ち抜くことや、周囲への期待へ応えるためにプレッシャーがかかり、どんどん肩に力が入るようになっていきました。そこは好きでブログの文章を書いていた翔子が徐々に周りを意識して“カリスマ主婦ブロガー”を目指していく過程と似ているんですけど、なんか苦しい、という状態が何年も続きました。

 
 

 ただ、いろいろ経験した最後に『演技だ!』と決めて俳優になったから、もう後に引けない、という覚悟だけはあったんです。それでも正直、いい現場ばっかりでもないから根腐れを起こしそうなことも何回もありました。でもその度にちゃんと見てくれている人がいて、『永い言い訳』で声をかけてくださった西川美和監督はまったく面識もなかったんですけど、本当に苦しい思いをしていた時に呼んでもらえたんです」

2021.02.16(火)
文=小泉 なつみ
写真=鈴木七絵