だから死後、無になると思って気楽にしていると、死んでから厄介なことになりますよ、といっただけなのに。こういう問題になると俄然、エキサイトする人がいるのが私には不思議である。

亡くなった親友からのサイン

 親友だった川上宗薫さんが亡くなった時のことだ。報らせを受けて川上邸に駆けつけ、まだ誰も来ていない病室の、ベッドに仰臥しているパジャマ姿の川上さんの遺体の前に立ったその時、私は川上さんの魂が(実感としては視線が)部屋の天井の右の方から私を見下ろしているのを感じた。

 ―川上さんが、あそこから見ている……。一瞬私はそう感じた。私と川上さんは会えばふざけて冗談ばかりいい合っている間柄だった。その私が神妙な面持で自分の(川上さんの)ムクロに手を合わせているのを見れば、川上さんはさぞおかしかろう……一瞬そんな思いが閃き、そのため私のお悔みはヘンにギクシャクしてしまった。涙など出てくるわけがない。川上さんは死んだという実感から遠くに私はいた。川上さんの視線が私には照れくさくてたまらない。

犬の散歩をする川上宗薫さん
犬の散歩をする川上宗薫さん

 私は頭を垂れて、

「川上さん、ご苦労さんでした。これで楽になったわね」

 といった。川上さんは淋巴腺癌で亡くなったのだった。

 その夜、私たち川上さんと親しかった数人は、葬儀の打ち合わせで深夜まで川上邸に残っていたが、その時突然、私たちの頭上の電燈が消えた、あっ、停電……? といっているうちにパッとつき、あっ、ついた、という間に又消え、そしてついた。丁度、川上邸の電気工事を手がけた電気屋さんが居合わせて、すぐに天井裏に入ったが、どこを探しても故障はない。

「ふしぎなんですよ、おかしいなァ……」

 と頻りに首をひねっているのを見ながら私は、

―川上さんのサインだ……。

 そう思った。

 

―と、書きつつ、私は、「……と思った」「……と感じた」と書いただけでは人は納得しないだろうなあ、と思って無力感を覚える。なにいってるのさ、と人はいうだけだろう。だが私には「思った」「感じた」としか書けないのだ。それ以上に何の実証も私にはできないのだ。

2021.02.15(月)
文=佐藤 愛子