屛風ケ浦の断崖はどうやって形成されたのか?

 屏風ケ浦は、1億年以上も前の硬い岩盤の上に、2つの地層が乗っかった構造をしています。

 下の地層は約300万年~90万年前、水深1,500メートルまで沈下した深海で堆積しました。この層からは深海に暮らすウニや貝の化石が見つかることがあるそうです。

 上の層は約10万年前、比較的浅い海だった頃に堆積したもの。その当時、銚子は陸から離れ、愛宕山を中心に抱く孤島だったと考えられています。銚子が島だった? ちょっと想像がつきません。

 この迫力の断崖が形成されたのは、もろい火山灰層でできているから。

 まず、波や風によって海面近くの高さに穴(海食窪)があき、やがて穴のある天井部分が崩れ落ちます。この崩壊した土砂は波によって運ばれて行きます。こうした浸食現象が年間50~100センチも起きていたのです。

 岩肌が露出していたのは、植物が根を張る間もなく、浸食されていたからだったのです。激しい浸食を抑えるべく、1960年代に消波ブロックを設置。すると崖が後退していくスピードが明らかに落ちたそうです。

 しかしその一方で、浸食が遅くなったために植物がちらほらと生えてきて、それまで土砂が運ばれていた九十九里浜の砂浜が狭まってきている、との声も。地球は微妙なバランスで成立しているのですね。

 この圧倒的な自然美は、いつの時代も人々の心を捉えていたようです。江戸時代の庶民の間では、利根川の舟運で訪れる遊覧旅行が大人気。

 また、信仰を集めていた「東国三社参り」(鹿島神宮・香取神宮・息栖神社)のついでに、屏風ケ浦を周遊する人が多かったそうです。あの歌川広重も「六十余州名所図会」で描いています。

2021.02.13(土)
文・撮影=古関千恵子