「普通の町」に出かけ、地元の人の日常にまぎれこむ愉しみ
正しいクマの襲われ方はわかった、選挙が面白いのもわかった、それはそれとして普通の旅行の本はないのか、という人におすすめなのが、川本三郎『我もまた渚を枕』(晶文社)だ。
副題に「東京近郊ひとり旅」とあるように、近場の町への一泊二日の旅をする。
そうはいっても鎌倉や伊豆のような観光地へは出かけない。旅先になるのは、船橋、鶴見、大宮、我孫子、市川、厚木に秦野といった町だ。どこもかしこも「CREA Traveller」には取り上げられようのない、いたって普通の町である。
川本さんはそうした場所を訪ねては、町を歩きまわって、ビールを呑み、ビジホに泊まり、朝飯を食べて帰る。
たとえば川崎であれば、こんな具合だ。
「食堂で朝の定食を食べていると、これから工場に働きに出る男たちが二人、三人とあらわれる。朝から丼飯を元気にかきこんでいる」
よそ者として、他者の日常に紛れ込む。そんな愉しみがここにはある。
なにも一泊するほどのところではない、というような町に泊まるからこそ日常の異化がある。そう考えると、本書は旅の本質をついた一冊と言えよう。
……といった大仰な話はともかく、読めば、日頃行かない町に出かけて、よさげな大衆食堂に入ってビールを頼みたくなるのは間違いない。そんな気分になる旅エッセイである。
また関東以外の町を書いたものがよければ、川本さんの『日本すみずみ紀行』(現代教養文庫)がおすすめだ。牛窓や角館などを訪ねては、ここでも川本さんは大衆食堂でビールを呑んでいる。
【読むべき本 その③】
『我もまた渚を枕 東京近郊ひとり旅』
川本三郎/著
晶文社 1,900円
「消えゆく下町を巡り、観光地ではない、時代の光と影が交差する街並みに埋没する旅エッセイ。千葉・埼玉・神奈川など東京近郊16の町を紹介している。少しどこかへ行きたくなる、旅情を感じる1冊」
» この書籍を購入する(Amazonへリンク)
urabansea
1973年生まれ。小学の頃、工場労働者の父親が買っていた「週刊宝石」を手にして以来の週刊誌好き。マイフェイバリット「週刊文春」は94年9月1日号。
Twitter @urbansea
2020.12.04(金)
文=urabansea