中学のときは「いつも傷だらけ」

阿川 喋ってくれると親も安心だしね。岡江さんは子どもの頃、どんな子だったんですか。

岡江 いつも傷だらけだったんですよ。中学のとき、技術工作の時間にノコギリで静脈が見えるまで切っちゃったり、歩いてたら椅子が降って来て、(頭上を指して)ここをポコッと切って。

阿川 椅子が降って来たア!?

岡江 椅子が立て掛けてあった周りで子どもが遊んでて、ぶつかったかなんかで落っこちて来たの。

あと目をつぶって歩いてて、バラの棘で涙腺切っちゃったりとか。

昔は肌が張ってたんで傷口きれいだったけど、寄る年波でそこがチリメンになっちゃって。チリチリ(笑)。

阿川 へー。

岡江久美子 ©文藝春秋
岡江久美子 ©文藝春秋

岡江 止めはやっぱり帝王切開ですかね(笑)。傷がないのは、心だけ(笑)。

阿川 それが言いたかったのね。

岡江 それがオチ。これで傷編は終わるわけ(笑)。

阿川 終わるわけって言われても。じゃ、元気がよくて、男の子っぽかったの?

岡江 そう。あとは小っちゃい子の面倒見るのがすごく好きで、近所にジュンちゃんとリエちゃんっていう姉妹がいて面倒見てたんですけど、何十年か後に、「はなまる」の「クイズ ママダス」にリエちゃんが出て来てビックリした。

「血を見るのが平気だったんで……」

阿川 大きくなったら保母さんになりたいと思ってたんでしょ。

岡江 私は看護婦さんになりたかった。小学校5年生くらいのときかな、ジュンちゃんの家の本箱にあった『家庭の医学』と『家庭の出産』で、出産シーンの写真を見て「エエーッ、赤ちゃんってこうやって生まれるんだ」って知って。

遊びに行くたびに、その本を広げて「ウーン」って眺めて。だから、医学書とか好きですね。

阿川 よく分かんない理屈だな。

岡江 理科の時間にフナやカエルの解剖するときも、率先してやってた。今でも週に1回、魚下ろさないと気持ち悪い。

阿川 何で看護婦さんが魚下ろす話に繋がるんだ?

岡江 だから、血を見るのが平気だったんで、看護婦に向いてるわと思って。そこから、現在の魚さばくのが好きってとこに行くわけ。

阿川 ちょっと待ってよ。話ついていけないよ。まだ現在の話になってないんだからッ。いつ頃から芸能界に興味を持ったんですか。

岡江 小学校の頃から演劇部にいました。初めてお芝居を見たのは昭和38年、小学校2年生のとき、薬屋さんで券をもらって、父と一緒に芸術座で森光子さんの『放浪記』。

でんぐり返しをすごい憶えてます。小学校高学年では、テレビで見て宝塚が好きで。

阿川 男の子っぽい性格ながら、お姫さまの世界にも憧れてらした。

岡江 うん。私、格好はフリフリで、髪の毛クリクリの縦ロールだったんですよ。

私たちが中学生の頃って、制服のスカートは長いのが流行ってたんですけど、私はわざと短くしてハイソックスはいて学校に通ってたの。ブリッ子っていうんですかね。

阿川 縦ロールで友達の分のカエルも解剖してたのね。

岡江 そう。本ではすべてを喜びに変える遊びをする『少女パレアナ』に感銘を受けて。

それでこういう性格になったんだなと思うの。

舞台ではデン助さんとか藤山寛美さんみたいな泣いて笑ってという世界も好きだった。(デン助風に洟をすするように)「ウッ」っていうの。

阿川 わけ分かんない子(笑)。

※こちらの記事は、2020年4月25日(月)に公開されたものです。

<#2 「「プラマイゼロで人生ちょうどいい」岡江久美子が阿川佐和子に打ち明けた「笑いと愚痴と人生」」に続く>

記事提供:文春オンライン

2020.05.11(月)
構成:柴口育子