均等法第一世代の
女性たちの希望だった
7月に上梓した『皇后雅子さま物語』(文春文庫)の中でも書いたが、ご婚約以来、雅子さまのご性格や人柄は意外にもあまり知られていない。
特に皇室入りされてからのエピソードをはじめ、ご病気になられてからのご様子はほとんど外には伝わってこなかった。
16年に及ぶ私の取材は、“菊のカーテン”の奥の未知の世界にどこまで迫れるかに拘り、始まったといえる。
小和田雅子さんが皇太子のお妃候補として浮上したのは1988年。
ハーバード大、東大を経て、86年に雇用機会均等法が施行された翌年、「均等法世代」の初の女性外交官として外務省に入省したという、その経歴と才色兼備ぶりは注目を浴びた。
流行の肩パッドを入れたスーツと大きなカバンを持って歩く雅子さまの姿は、まさに「働く女性」のイメージだった。映画やテレビでよく観る、ニューヨークなどで働く“キャリアウーマン”像とも重なった。
当時の均等法第一世代の女性の現実と言えば、会社には入ったものの閉鎖的な男性社会に大きな変化があったわけではなかった。
今でいうセクハラまがいのことも多く、これを受け流す術を身に着けながら、制限のある仕事に取り組まなくてはならない。そんな日常の中で、雅子さまの輝かしい存在は、希望だという女性は多かった。
※記事の続きは「週刊文春WOMAN 2019夏号」でご覧ください。
※こちらの記事は、2019年8月17日に公開されたものです。
記事提供:文春オンライン
2019.10.29(火)
文=友納尚子