森をモチーフに
コミュニケーション不全を描く
今月のオススメ本
『森があふれる』
本書には埜渡(のわたり)と琉生のほか、埜渡の担当編集者で妻とすれ違い続きの瀬木口昌志や、瀬木口の後任の編集者で夫との関係に悩む白崎果音、あるいは埜渡の愛人の木成夕湖など、夫婦や男女の関係性に悩む人たちが登場する。それぞれのカップルの選択も読みどころ。
彩瀬まる 河出書房新社 1,400円
小説家の妻が発芽し、森と化す。彩瀬まるさんの『森があふれる』で、なぜ妻は変質したのか。元に戻ろうとしないのか。夫と妻の関係はどうなるのか。先を知りたくなり、読者はがっちりその世界につなぎ止められる。
作家の埜渡は妻の琉生をモデルにした小説「涙」が高く評価され、いまの地位を得た。埜渡から〈妻がはつがしたんだ〉と連絡を受けた編集者の瀬木口は、発がんと誤解して埜渡の家に駆けつける。すると全身に若芽を生やした琉生が現れ……。埜渡、瀬木口、後任の白崎。琉生の変貌への向き合い方は三者三様だ。埜渡は森の世話もせず密生していく妻を小説にし、瀬木口は埜渡に頼まれて水やりはするが、見て見ぬふりで逃げ帰る。後任の白崎だけが、森へ分け入り、真相を知ろうとする。
「琉生を直に見たら瀬木口のような恐怖を覚えるのは当たり前で、むしろ白崎は事情を知らないから深追いしたのかも。男女の違いというより、キャラクターの違い。 男女を逆転させても書けたと思います」
執筆にあたり、いくつか影響を受けたものがあるという。
「写真家・荒木経惟氏のミューズだったKaoRiさんの告発。『死の棘』の著者である島尾敏雄の妻・島尾ミホの評伝『狂うひと』で梯久美子さんが提示していた、夫がわざと妻の情緒を揺さぶり傷つけていたという可能性。芸術家がすばらしい作品を作るからといって、大義名分の陰で“奪われる人”がいるとき、何の疑問も持たずに甘受するだけでいいのかと。フェミニズムやハラスメントに対する社会の反応が変わるにつれ、私自身もさらに考えるように」
特に注力したのは、弱者のか細い声をどう書くか。彩瀬さん自身、三章四章と書き進めるうちに、埜渡が滑らかに自分の理屈を語る一方で、琉生は思いを言葉にして伝えるのが苦手だと気づいたからだ。
「もともとジェンダーギャップより、コミュニケーションギャップを書きたいと思っていました。本作が雑誌に掲載された後も、何か足りない気がして考え続けました。『サバルタンは語ることができるか』という現代思想書を読み、弱い立場にある人が自ら語ることはそれだけ難しいのだとわかった。ヒントになりました」
それを踏まえ、最終章を大きく加筆。男らしさや女らしさをめぐる偏見を解き放ち、半ば固定化された男女のコミュニケーション不全の問題にも解決の糸口を示す、かすかな希望を感じるラストだ。
Column
BOOKS INTERVIEW 本の本音
純文学、エンタテインメント、ノンフィクション、自叙伝、エッセイ……。あの本に込められたメッセージとは?執筆の裏側とは? そして著者の素顔とは? 今、大きな話題を呼んでいる本を書いた本人が、本音を語ります!
2019.10.16(水)
文=三浦天紗子