「人生はお互いさま、小さな親切を惜しまない」

「人さまがあって、自分があると心得る」

 これは、うちの家訓のようなものです。うちの両親は、ささいなことでもまわりの人への思いやりを、日常のなかで示してくれていました。

 朝早くに寺を詣る人がきても、いつでも門を開け、梅干とお茶で「ようこそ」と迎えていた父。学生時代の友人たちが家に泊まりにくると、手づくりのごはんを食べさせ、夜中に友人たちの靴まで磨いてくれていた母―。ひとむかし前まで、父母たちのようなふるまいの日本人が多かったように思います。

 親切を特別なものにしない行為が、思いやりであり、「功徳」です。

 その反対に、どこか見返りを計算して動いているのは、親切ではなく「不徳」。「不徳の致すところ」って、「自分の徳が足りない」ことを悔いるフレーズですよ。

 普通に暮らしていると、不徳のことが増えていくわけで、だから自分が与えることができる機会があったら、積極的にまわりの人を思いやって、徳を積んでおきましょう。

 困ってる人がいたら、子どもでもお年寄りでも、ワンちゃんでも、スッと手を差しのべる。してもらってうれしかったやさしさは、次の誰かにしてあげる。お互いさまだから、芯から辛いときは、人に頼ってもいいんですよ。

 一人で生きている人はいないし、一人で幸せになったってしょうがないでしょ、独裁者じゃないんだから。この世は助け合いで成り立っているんです。

◆キーワード

・小さな親切
・功徳を積む

龍がすむ赤寺の教え
「運気の代謝」があがる! 日常作法のコツ

著・松尾法道
本体1,350円+税

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撮影=川内太郎

松尾法道(まつお ほうどう)

東明山 興福寺住職。1950年、長崎市・興福寺の庫裡で生まれる。16歳のとき、アメリカ・ルイジアナ州のアレキサンドリアにあるボルトン高校へ留学し、アレキサンドリア市名誉市民となる。海外生活の体験を経て、日本の美しい文化にあらためて目覚める。花園大学文学部仏教学科卒業後、黄檗宗大本山萬福寺修行道場に入堂。25歳にして、東明山興福寺第32代住職に就任。住職のかたわら、長崎女子商業高等学校非常勤講師、玉木女子短期大学非常勤講師を20年近くつとめる。現在、長崎市仏教連合会会長、日本礼道小笠原流長崎県支部会長。クラシックや歌舞伎など芸能鑑賞や自身でもピアノ演奏を楽しみ、親友であった昭和の歌姫・江利チエミの音楽を深く愛する。