汚れた化粧品を見たくないのは
それが“自分自身”に見えるから

 部屋が片付かないのは、単純にモノが多いから……みんなよく解っている。こんなに解りやすい理屈はないのに、なぜかモノは減らない。不思議なことに減らしても減らしても、いつの間にか増えていく。まるで雑草みたいに。いわゆる断捨離や、ときめき整理学で、モノを捨てる方法はだいたいマスターしたはずなのに、やっぱりモノは増殖するのだ。

 だから今の時代、女は両方を知っているはず。部屋が片付いた時の“この上ない快感”と、また再び散らかってしまった時の、“想像以上の落胆”との両方を。それがどれだけ美容と直結しているかも。つまり、モノを捨てるほどに見た目も浄化され、モノが増えるほどに肌も荒れていく……そういうものだということにも、薄々気づいているはずなのだ。整理整頓がそもそも美容であること、ここでもう一度肝に銘じたいのである。

 ただ厄介なことに、化粧品の整理整頓はもっと難しい。捨て方が難しい上に、洋服ほど場所をとらないから、化粧品は化粧品なりにどんどん増えていく。ましてや使いかけの化粧品は、それ自体があまり美しくなかったりして、使いかけがゴロゴロしている状態そのものが、美容にあまり良くなかったりするのが、まず1つ。

 その上に、化粧品のワードローブの混乱は、洋服のワードローブの乱れ以上に、自らを戸惑わせる。自分がどうなりたいのか、その方向性がぐらぐらしていることに他ならないから。そうやって、不用な化粧品が無軌道に増えていき、こんがらがった状況にあると、女は見た目にも澱んでくるのだ。いずれにせよ、使いかけの化粧品や、意味不明の化粧品がぞろぞろ並んでいるのを、女はあんまり見たくないと思っているはずなのだ。

 なぜだか、解るだろうか。使用中の化粧品は“自分自身のように見える”からなのだ。

 新品の化粧品は化粧品として美しいから、 封を切る時まではずっと眺めていたいほど。肌も心も浄化してくれるはず。でもひとたび使い始めれば、化粧品は自分自身になり、例えばボトルの口が汚れていると、それを見るにつけ、 まるで自分自身が汚れているように感じるもの。ほつれた下着も、それを見るたび自分自身がほつれているような気がするのと同じ。コロッケみたいなスポンジも、束束になったブラシも、それだけで後ろめたい。世の中に対して、というより、自分自身に後ろめたいのだ。自分が自分を汚くしていることの象徴だから。

2017.03.29(水)
文=齋藤 薫
撮影=西原秀岳

CREA 2017年4月号
※この記事のデータは雑誌発売時のものであり、現在では異なる場合があります。

この記事の掲載号

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