山田奈央子(やまだ なおこ)さん
家族:夫、長男2歳7カ月、次男10カ月

会社名:株式会社シルキースタイル
肩書き:代表取締役CEO

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 神様は時々、粋ないたずらをするようだ。

 子どもを産むことなど考えずにバリバリと働いていた山田さんは、あるとき「子宮頸がんの一歩手前です」と医師に宣告をされてしまう。その医師の意見によると「子宮頸がんにならないために、一番いいのは出産をすることです」とのこと。そう言われて、初めて子どもを持つことを考えた。

 1年後妊娠がわかり、その後2人目も授かる。今は2歳7カ月と10カ月の男の子の母親として、そしてシルキースタイルの社長として、エネルギッシュな毎日を過ごしている。

目的のために、何をすべきか瞬時に判断

 大学を卒業後、ある大手下着メーカーに就職した山田さんは、高級ブランド下着の担当となったが、売上は芳しくなかった。

 ものは良いのに売れないのはなぜだろうと考えたとき、まわりの女性たちが、あまりにも下着に気を配っていないことに気づく。「日本人の女性の下着に対する価値観から変えていかないと、せっかくの良質な下着がいつまでたっても売れない」と考えて、一社員でありながら個人的なブログを立ち上げ、下着の選び方、おすすめのブランドなど、独自に情報発信を始めたという。

 まるで大きなピラミッドを作るために小石から集め始めたような話だが、結果的にはそのブログがきっかけとなり、声をかけられて、本の出版、そして4年後退社して起業、というコースを歩む。「大きな目的のために何ができるか、どう動くかと考え、行動し、達成するプロセスが好きなんです」と山田さん。

起業、そして妊娠・出産

 「自分たちが本当に満足する商品を作りたい」という想いで、株式会社シルキースタイルを大学時代の友人と立ち上げたのは、26歳のとき。創業から11年たち、現在は、下着、コスメ、雑貨などの商品企画や開発、またテレビショッピング、カタログ通販などの制作やプロデュース、下着やボディケアの専門家としての活動も行う。

 順調に仕事をすすめていたときに、冒頭のようなエピソードがあり、子どもを授かることとなった。

 仕事のやり方は、当然子どもができて変わらざるを得なくなった。

 つわりがきつく、産後も2人の子どもの保育園が違う場所にあった半年間は、その送り迎えだけでも手間と時間がかかった。仕事のパフォーマンスを落とさないためには、タクシー代も増やさざるを得なかった。

「ようやくこの4月より、保育園がひとつになりホッとしました」

仕事のチャンスは何があっても逃さない

 体力的には乳児を抱えての仕事はきつい。しかしその時だからこそ見つかる仕事のチャンスは見逃さない。

 次男を妊娠した直後から、山田さんの肌が非常に荒れてしまった。どんなクリームをつけてもよくならなかったが、身に付けるものをシルクに変えたところ、症状が改善。そこで、日常使いできるママのためのシルクランジェリーを開発したいと考え、「シルクは洗えない」という常識を破り、ウォッシャブルシルクのランジェリー「ラポール」を企画開発・制作、販売。その肌触りの良さ、高級感からママたちの高い評価を受けている。

肌触りのよいシルクでウォッシャブルの下着をつくる。

 今は、長時間勤務はできない。17時半に退社するために、会議は終わる時間と「何を決めるか」を徹底し、ムダを省く。仕事は、以前にもましてよりストイックに、より効率的に、より緻密に進めている。

 一方で家庭に戻れば、イヤイヤ期の2歳児と0歳児という男兄弟との、「効率的」とは真逆な環境。けれども、山田さんに話を聞いていると、それほどイライラしているようにも見えない。仕事での緊張を、効率とは無縁の子どもたちが解いてくれているのかもしれない。

「仕事はすごく左脳を使っていて、子どもといる時は右脳を使っているのかな。意識しているわけではありませんが、無意識に切り替えているのかもしれませんね」

 子どもの話をするときに、山田さんの表情はとても柔らかになる。

 朝は4時半起床。それから子どもたちが起きてくる7時までが、一番集中して家事と仕事、読書など、自分の好きなようにできる時間だ。メールの返信もこのとき。ザクザクと下書きをまとめておき、朝7時に一気に送信する。

 洗濯は、夜、夫が洗濯機のスイッチをオン。朝には乾燥した洗濯物が出来上がっている。お掃除はルンバにお任せだ。

2016.05.19(木)
文・撮影=HITOMINA