平安時代の洗髪の様子。川に入り、柄杓で水を掛け合いながら洗髪した。洗髪は一日がかりだったと記す文献も。小堀鞆音・寺崎広業《扇面古写経(模本)》 歌川広重が日本全国の名所を描いた錦絵。伊豆修善寺の湯治場が描かれている。江戸時代半ば頃より宿泊施設が整備された修善寺は、江戸後期には温泉番付にも選出される名温泉地となった。歌川広重(初代)《六十余州名所図会 伊豆 修禅寺湯治場》 NDLイメージバンク 江戸の銭湯の様子を克明に描いた一枚。正月、湯屋を訪れる客は、少し多めの湯銭を紙に包んだ「おひねり」を、番台横の三方に載せる習慣があった。豊国(3代目)《睦月わか湯乃図》 国立国会図書館デジタルコレクション 江戸時代になると湯治がブームとなり、「温泉功能鑑」や「温泉一覧」といった見立番付が、数多く出版されるように。その多くが、東の大関は草津温泉、西の大関は有馬温泉としていた。草津には年間1万人を超える客が集まり、大いに賑わったという。『諸国温泉鑑』 能の曲目・草子洗小町を描いた図。平安時代、洗髪や化粧に最もよく用いられていた「角盥」が描かれている。豊国(3代目)《古今名婦伝 小野小町》 国立国会図書館デジタルコレクション 養生薬湯[医薬部外品]5包 1,650円/再春館製薬所(0120-305-305)