ワーグナーの病的な完璧主義が生んだもの
オペラを観るつもりで「バイロイト祝祭劇場」に入った人はまず違和感を抱くだろう。なぜなら、通常の歌劇場ならば必ずあるはずのオーケストラピットがないからだ。いや、正確にはピットはあるのだが、客席からは見えない。バイロイト祝祭劇場のオーケストラピットは、半分が舞台下に押し込まれ、指揮台のある手前側もアール状の覆いで隠されている。
無論、この特殊な構造はワーグナー自身のアイデアだ。それはワーグナーの病的なまでの完璧主義と、他の作曲家とは異なるワーグナーの立ち位置による。
通常オペラ作品は、台本(リブレット)の作者と作曲家は別人物である。モーツァルトの『フィガロの結婚』や『ドン・ジョヴァンニ』なども、台本はイタリア人脚本家のダ・ポンテの手による。しかしワーグナーは、自身の芸術は細部に至るまで全て自身の手によって成し遂げられることを希求した完璧主義者だ。
ワーグナーのオペラや楽劇はすべてワーグナー自身によって台本が書かれ、初演の上演形態や演出、衣装に至るまで、ワーグナー自らが携わった。ワーグナーは自身に心酔する国王ルートヴィヒ2世から資金をどんどん引っ張り出し、自身の芸術の理想を作り上げようとした。そして他の作曲家が成し遂げたことのない、「自身の作品を上演するためだけの劇場」まで作ってしまった。それが「バイロイト祝祭劇場」である。
オーケストラピットが舞台下に設置された理由には諸説ある。まず、ワーグナーは「完璧な暗闇」を作り出すことにこだわった。オーケストラピットがむき出しだと、譜面台の明かりが常に見えてしまう。「完璧な暗闇」を作り出すことができない。また、通常のオーケストラピットの場合、指揮者や楽団員の出入りが見えてしまう。ワーグナーは自身が作り上げた「完璧な作品の世界」に、観客を「完璧に没入させること」にこだわった。指揮者や楽団員が登場して沸き起こる拍手や、譜面台の明かりなどは、彼の芸術にとってはすべて余計な要素であり、邪魔なのだ。
