「没用!(ない!)」は常套句。混沌とする街の中へ

 国営のデパートは、商品の保管方法もアバウトだった。時計を買おうと売り場に行ったときのこと。「白い時計が欲しい」というと、店員はストックしてある時計の箱をかたっぱしから開封し、「白色は没用(ない)」。「じゃあ、黒色が欲しい」といえば、一度閉まった箱をふたたび手当たりしだいに開封し、「あ、白色があった」というありさま。何度、「中国語が話せるようになったら、合理的な整頓の仕方を教えてあげよう」と思ったことか。

メインストリートから少し外れたところにあったジャズバー。いつ行っても「営業中」の札が貼られたまま、鍵がかかっていた。

 一方では、外資系のデパートも誕生し始めていた頃。メイン通りの准海路には、伊勢丹の一号店があって、発展する上海の広告塔になっていた。「いらっしゃいませ」と店頭で深々と頭を下げられ、戸惑っているように見える中国人客もよく見かけたものだった。今なら、ほとんどの店で「歓迎光臨!(いらっしゃいませ)」と笑顔で迎えてくれるのだろうが、当時はまだサービスという概念が乏しかったのだろう。

日本でも見たことのある外資系のホテルやカフェが、次々と誕生していた。

 90年代中頃の上海は、高層ビル建設ラッシュ。有名な東方明珠電視塔(上海テレビ塔)も完成してまもなかった。テレビや新聞では「繁栄する近未来都市」などと評されていたものだが、実際はどこを歩いても、剥き出しの鉄骨に竹組みの養生がされた工事現場ばかりで、とても埃っぽい。欲望と夢が渦巻くコスモポリタン。「近未来都市」よりもそう呼ぶ方が、96年の上海にはぴったりだった。

左:古い建物はどんどん壊されて、新しいビルが次々と生まれていった。
右:黄浦江の対岸に見えるのは、開発まっしぐらの浦東新区。現在は高層ビルが立ち並んでいるが、当時はテレビ塔が一番高い建物だった。

 今ではリニアモーターカーが走り、14路線の地下鉄駅が張りめぐらされている上海も、当時は地下鉄が1路線しかなく、高速道路は一部しか開通していなかった。

 郊外にあった宿舎から街へ行くときの交通手段といえば、路線バス。乗車賃3元(当時のレートで約40円)のエアコン付きバスと、乗車賃5角(0.5元)のバスがあり、後者はたまに、座席のスプリングが外れてビヨヨーンと身体が浮いてしまうこともあった。だが、隣に座った人が上海訛りの普通話(中国公用語)で話しかけてくれたり、ミカンを分けてくれたりなどして、それはそれでなかなか楽しかった。

左:高層ビル建設だけでなく、地下鉄工事もそこかしこで。
右:5角で乗れるバス。座席のスプリングが外れたって気にしない。現在、市内バスは、テレビ・エアコン付きが主流。

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2015.02.24(火)
文・撮影=芹澤和美