――新之助さんの「外郎売(ういろううり」について、お父さまが体調不良で休演されて新之助さんがたった一人で舞台に立たれたときと、襲名披露興行で演じられたときの2公演が映し出されています。

新之助 襲名興行では至らないところもありましたが、あのときは必死にお役を勤めさせていただきました。でも、いま見るとちょっと恥ずかしいです。お父さんが休演したとき(2019年7月歌舞伎座)に一人で「外郎売」を演じたのは、自分のことながらすごいことでしたね。今なら絶対に無理。なんで、あのときやれたのだろうと不思議に思います。

團十郎 私が昼の部で倅と「外郎売」を、夜の部で「義経千本桜」を一人で十三役、演じる「星合世(ほしあわせ)十三團」を公演する月でした。喉の奥に病原菌が入り込んで声が出なくなり、休演することになったのです。そのとき、倅は「一人でやるよ」と舞台に立ち、私が病院で過ごした3日間を頑張りました。映画を見ながら、「ああ、無理をさせたな」と涙が止まりませんでした。

――クライマックスが十一代、十二代、十三代の團十郎さんによる「勧進帳」の弁慶と富樫の映像を組み合わせた場面です。

團十郎 パリのオペラ座ガルニエで「勧進帳」の弁慶と富樫を、父と私で交互に上演(2007年3月)した時の思い出がよみがえりました。一緒にホテルに泊まり、舞台のことなどで大喧嘩をしてね。思い出深いものを改めて見られるのは嬉しいというか、グッときます。父が白血病で倒れたのは歌舞伎座の十一代目海老蔵襲名興行(2004年5月)の初日から10日後で、同年の10月にパリの国立シャイヨー宮劇場での歌舞伎公演が決まっていたので、父は治療に専念しました。それ以来のパリ公演でした。

新之助 そういうのを見ると、映像であっても歌舞伎のすごさを改めて実感しました。言葉に表せない奥深さがある気がしました。

――襲名後の変化をお聞かせください。

團十郎 いい意味でも悪い意味でも伝統を重んじる歌舞伎界は変わらない。そのなかで團十郎の役目はなにか。もちろん舞台での芝居が一番ですが、父や(中村)勘三郎さんや(坂東)三津五郎さんの姿を見て、才能豊かで歌舞伎を愛している人間が体を酷使してこの世を旅立つ姿には言葉にならない悔しさがあった。だから私は歌舞伎の公演に“休演日”を提案しました。舞台を続けていくためにも、これまでにあった慣習やそういう理不尽なものを見直して改正することも必要だと考えています。

新之助 僕自身は最近、新之助の名に慣れてきました。以前は意識しなかったけれど、いまは「歌舞伎十八番」にも挑戦したいという思いがあります。

――映画の冒頭に、「歌舞伎」の語源といわれる「かぶく」についての解説があります。現代のかぶく精神とはなんでしょう。

新之助 「かぶく」って何ですか?

團十郎 常軌を逸して人とは違うことをすること。傍若無人、唯我独尊、若いときのパパみたいな(笑)。そもそも、「かぶく」精神は九代目團十郎あたりで一回制御されています。それまで大衆の娯楽だったものが、九代目が明治天皇の前で日本初となる天覧歌舞伎を実現させ、歌舞伎の敷居がいい意味でも悪い意味でも変わりました。でも、だからこそ現在も歌舞伎が伝統文化として残っているといっても過言ではない。

 いまの歌舞伎がかつての「かぶく」というパッションを持ち続けているかというと……そうでもないのかな。ただ、古典歌舞伎で熱い情熱がどこまで必要かは人それぞれで、人の好みにもよります。強いパッションを持ちながらただひたすら自分がやりたいことで動いているという意味では、いまだとYouTuberの方々かな。かれらは完全にかぶいていますよね。我々の歌舞伎は伝統文化へと昇華されてきています。

――團十郎さんは伝統を継承しながら、新しいことも追求されてこられました。

團十郎 「六本木歌舞伎」を立ち上げたり、舞台にプロジェクションマッピングを活用したりして多角的に新しいことへ挑戦したのが市川海老蔵の時代。團十郎になってからは、名跡の呪縛を了承し、消化して生きることを意識するようになりました。日本人が大事にしてきたのに忘れてしまったことを見つけ出し、なるべく形を変えずに古典のなかで体現することが新しいことと考えるようになったのです。古き良き物のなかに新しいものを見つけるように切り替えていきたいです。

――團十郎のお父さまである十二代目をご存知ないかたも、映画をご覧になると思います。 

團十郎 十二代目は本当に大らかで、存在そのものが團十郎。家でもチャーミングで面白くて大きな男でした。私は各界のありとあらゆる男性の方々にお目にかかってきましたが、普通の人にはない違和感を覚える“オス”を感じたのは2、3人ほど。父はその一人で、ホテルの大きな空間にいても思わず目を引く。私は子どものときからその人としか話をしていないので、人間は誰もがこういうものだと思っていました。でも、いざ父以外の方々と会話をしましても、ほかにはどなたもいなかった。父は大きいだけでは収まらない何かを持っていました。

次の記事に続く 「前は一緒にゲーム」「今はフォートナイト」明かされる市...