無理をして“ちゃんとした人”に見せなくてもいい
若い頃の私は、「他人からどう見られるか」で服選びをしていました。特に起業したての頃は、「これを着たら好印象だ」「ちゃんとした人に見られたいから、これを着る」というように――。
当時はその基準で選んだ服こそが、「自分らしい」とも思っていたし、頑張って着飾ることも必要だったのかもしれません。
でも、60代になった今、“あの頃”の服にはもう手がのびません。反対に、今の私が着たいと思うのは「着ていて心地がいい服」や「心が落ち着く服」です。それが、今の自分には似合う服だと思っています。
“あの頃”は、「ちゃんとした人に見られたい」という気持ちを服に託していました。でも、もう無理にちゃんとした人に見せなくてもいい。無理に、若く見せようとしなくていい。
おしゃれはもっと純粋に楽しむものだと思えています。
今、私にとって服は、“人に見せるため”ではなく“自分自身のため”のものになったのだと思います。
「いつか」のための服よりも、毎日の服を楽しみたい
かつてのクローゼットの中には、「いつか着るかも」という理由で置いてあった服がたくさんありました。でも、その「いつか」って、いつだろう? そう、実際、ほとんどこないのです。そのことに気づき、「いつかのための服」を手放すことに。
今、クローゼットにある「いつかのための服」は喪服だけです。
大事なのは、「いつか」より日常。「いつ着るかわからない」、いや、「いつまでたっても着ない」服よりも、「毎日の服」を大事にしたい。それが、服と向き合って、芽生えた私の気持ちです。
私が、「毎日着たい」と思う服って、どんな服? それは、着飾る服じゃない。人に見せるための服じゃない。「日常的に着ていて、気持ちがいい服」「どこにでも気軽に着ていける服」です。
以前は、「いつも同じ」に抵抗がありました。でも、それは他人の目を気にしていたからなんですよね。
好きならば、Tシャツとジーンズを毎日着たっていい。そう自分に許可したら、心もすっと軽くなった気がしています。
