あんな授業をやれたらどんなにいいだろう。

 学生のころに受けた森先生の授業はイカしていた。私が籍を置いていたのは「サウンドプロデュースコース」といって、音楽制作にまつわることだったらなんでもちょっとやってみな、というコースだった。作曲学科でありながら理論なんてお構いなしの人間が多数だったサウンドプロデュースコースの「ソルフェージュ」という授業の担当が森先生だった。ソルフェージュは本来だったらこの音からこの音はどのぐらい離れているのか、とか、記されている音符を正確に読み取ったり、音から譜面に書き起こしたり、といった基礎の視点から耳を鍛えるための授業なのだが、森先生は最初の授業で「君らの学科にはそういうのは必ずしも重要じゃないでしょう?」「だから耳を養いましょう」と古今東西さまざまな形式の音楽を聴いていく、という方向に切り替えた。この授業は1年の時にあった「ポピュラー音楽概論」という授業にも少し手触りは似ていた。しかし、歴史を俯瞰で見て、現在地を知る「ポピュラー音楽概論」に対して、森先生のソルフェージュは「自分が音楽に対してどういう態度を取っているのか」、というところから地図を広げ、どこにピンを立てるべきかを探るような授業で本当に刺激的だった。あんな授業をやれたらどんなにいいだろう。

 3月某日、森先生と打ち合わせをするために母校の音大に向かった。小田急線の快速急行で多摩川を越える。改札を出て右へ曲がる。他の学生が通らないようなビルの隙間を通る。守衛さんに会釈をする。エレベーターのボタンを押す。4階で降りる。これら全ての動作が16年前で一度「終わった」行為だ。それらの全てが「懐かし」く感じてしまって、手に負えない。徹底的に抗いたい。38歳の今、しっかり抗わないといけない。「懐かし」は故郷ではない。それは幻だ。ただのハリボテだ。この年齢で幻やハリボテに魅入ってしまうなんてこれ以上これ以上みっともないことなんてあるかよ、と自らの頬を差し出す。しかし私は誰に頬を差し出したのだろう。

 この原稿を書いている段階で明後日に初回の授業が迫っている今、私は新しいことが始まる嬉しさと未曾有の不安の両方に苛まれている。私が学生だった頃(もちろん例外もたくさんあったけど)、10歳以上年齢が離れた人が言うことの多くは的外れだった。そうして「俺の時はこうだった」「私の時はああだった」という話になり、過去に捉われた意見をくれる。その世代にはその世代のやり方があって、想像もできないような飛躍が起こる。そこへの配慮はないことが多かったように思う。音楽ならば、演奏の技術や理論の多くは普遍的で、指導という意味で盤石なのだろうけど、演奏の技術も音楽の理論もなく、情緒の面しか持ち合わせないこの私に何を教えられるというのだ。的外れなことだけ言うおじさんに成り下がってしまうのではないだろうか。私はあの頃の森先生みたいになれるのだろうか。

澤部 渡(さわべ・わたる)

2006年にスカート名義での音楽活動を始め、10年に自主制作による1stアルバム『エス・オー・エス』をリリースして活動を本格化。16年にカクバリズムからアルバム『CALL』をリリースし話題に。17年にはメジャー1stアルバム『20/20』をポニーキャニオンから発表した。スカート名義での活動のほか、川本真琴、スピッツ、yes, mama ok?、ムーンライダーズのライブやレコーディングにも参加。また、藤井隆、Kaede(Negicco)、三浦透子、adieu(上白石萌歌)らへの楽曲提供や劇伴制作にも携わっている。25年にCDデビュー15周年を迎え、5月14日にはアルバム『スペシャル』をリリース。12月14日にはスカートCDデビュー15周年記念スーパーライヴ「超ウルトラハイパーウキウキスペシャル優勝パレード2025」を開催。そして、初のオフィシャルファンクラブ「電撃澤部倶楽部」がスタート!
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