
ディープな音楽ファンであり、漫画、お笑いなど、さまざまなカルチャーを大きな愛で深掘りしている澤部渡さんのカルチャーエッセイ連載第16回。同窓会以来、ノスタルジーに引き摺り込まれそうだった澤部さんが、母校で毎週授業を持つことになって…!
最近、というか昨年の年明けに行われた中高の同窓会以降、ノスタルジーが私をドブなのか墓なのか、とにかく暗くて暖かいどこかへ引き摺り込もうとしているのを感じる。ノスタルジーが怖い! 抗わなければならない!
そのことをバンドのリハーサルの休憩中に話すと、ドラムの佐久間(裕太)さんは「何を今更! 澤部くんは20歳の頃から10歳の頃を振り返ってきたじゃん」と笑った。そのとーり。しかし(前回を参照して欲しいのだが)「電撃OMOIDE倶楽部(仮)」のエッセイ(※編集部注:ファンクラブ「電撃澤部倶楽部」内で連載中の会員限定コラムのこと)で散々昔を振り返ってきたけど、そこにこの類のノスタルジーはなかった。自分の記憶の中にあるものなんてものは、所詮は手持ちのカードでしかなかったのだ。今、私が直面しているノスタルジーの恐ろしさは自分の手放してしまったものの中にあった。それを私は昨年の年明けに行われた中高の同窓会以降、痛烈に感じている、というわけなのだ。年末年始を一緒に過ごした同級生の松本くんとも「人生に『懐かし』が必要になってきてしまった」と言っていて笑い合った。ぼんやり生きてきたからこそ、これまで目が行っていなかった「あの頃」というのが、いつのまにか明確になってきてしまった。今まではなかった「あの頃」という場所が明確に立ち上がってしまったのだ。
今年に入ってしばらく経った頃、大学の恩師の森篤史先生から連絡が来た。母校である昭和音楽大学で春から週に一度、「ソングライティング」という授業の講師をしない?というものだった。音大の新入生は年々増加していて、まだ曲作りもしたことがないような学生もいなくはないという。そういう新入生たちを対象とした授業で、理論とかじゃない部分で曲を作るとは、詩を書くとは、という心がまえを教えてほしい、とのことだった。私も38歳になった。順番が回ってきた、という感じだろうか。散々悩んで、やってみます、と答えた。
文=澤部 渡 イラスト=トマトスープ
