【KEY WORD:富士山の入山料】
この夏、富士山を登る人から「入山料」をとるということが試験的に始められています。ただし強制ではなく、金額も1000円というかなり低めの設定。これはいったい何を意味しているのでしょうか。
もともとのきっかけは、富士山が昨年6月に世界遺産に登録されたことです。富士山の登山者は今でさえ、ひと夏30万人という凄い数です。世界遺産になったことで、さらにその数が増えていくことが予想されます。環境もさらに悪化してしまいますし、そもそも遭難の危険も高まってしまいます。実際、昨年の全国の山岳遭難のうち、富士山がある静岡県の遭難者は一昨年の97件から急増して139件。日本アルプスや八ヶ岳を擁する長野県に次いで、全国2位に浮上してしまいました。世界遺産ということばに惹かれて、経験のない登山者が富士山に集中してしまった結果ではないかと言われています。
このようなさまざまな問題を抑制するためには、登山者の数を減らさなければなりません。それが入山料の導入ということになったのですが、わずか1000円を任意で徴収するだけでは、あまり効果は期待できません。実際、京都大学教授の栗山浩一さんの試算では、1000円だと登山者が4パーセントぐらいしか減らないという結果になっています。
だったら1万円とかもっと高額の入山料を設定するなり、きちんと人数制限するなどの方法を採ればいいんじゃないかと思うのですが、これにはホテルや山小屋など地元の観光業界などの反対がきわめて大きいようです。「せっかく世界遺産になってこれからジャンジャン人が来て儲かるようになるのに、入山制限なんて」という異論なんですね。
しかしそもそも、世界遺産の目的は観光名所をつくることじゃありません。世界遺産は、1972年にユネスコが採択した「世界の文化遺産及び自然遺産の保護に関する条約」にもとづいて登録がおこなわれてます。この条約の名前に「保護」ということばが入っていることに注目してください。普遍的な価値を持っている自然や文化を破壊しないようにして、人類の宝物として保護し後世に残していこうというのが、世界遺産の意味なんですよ。
世界遺産に登録されたことが結果として観光の売りになるのは事実ですが、だからといって観光客がたくさん来るからと、リゾート開発をさらに推し進めて自然を壊し、昔ながらの景観をだいなしにするようなことをするのであれば、それは世界遺産の本旨からはまったく外れていますし、許されることではありません。最悪の場合には、世界遺産登録の取り消しだってあり得ます。実際、過去にはオマーンの希少な動物アラビアオリックスの保護区が、保護区が縮小されたり開発が優先されたりした結果、登録が抹消されています。ドイツのドレスデン・エルベ渓谷も、ユネスコが「景観を損ねる」と反対していたのに住民投票で橋が建設されてしまい、登録抹消になっています。
おまけに富士山は、「自然遺産」としてではなく「文化遺産」としての世界遺産登録です。つまり単なる「山」としてではなく、古来からの巡礼の場所としての宗教的な文化が普遍的な価値を持つと判断されたんですね。
ところが現実の富士山は、登山者であふれかえり、荷揚げ用のブルドーザー専用道路まであって、宗教的な神聖さがだいなしになってしまっています。山麓はさらに酷くて、そこらじゅう派手な看板や土産物屋だらけで、世界遺産なんていう雰囲気はかけらもありません。
問題点を改善しなければ世界遺産登録抹消も!?
実際、こういう酷い実態をユネスコの世界遺産委員会も目の当たりにしています。2013年に富士山の登録が決まった時には、こういう観光開発などの問題点が指摘され、2016年2月までに改善の報告書を出さなければならないという「条件」が加えられているんですよ。もし2年後の報告書できちんと改善したことを日本が証明できなければ、世界遺産登録抹消という恥ずかしい事態に陥るかもしれません。せっかく2020年には東京五輪も控えているのに、冷や水を浴びせかけられるようなことになりそうです。
それにしても、富士山のみならず伊豆や日光や福井の東尋坊といった古くからの観光名所に行くといつも感じることなのですが、日本のこうした景勝地には安っぽい土産物屋や食堂などの看板、ノボリが乱立し過ぎています。私たちは自然の美しい場所に、自然に触れて自分を取り戻しに行くのであって、土産物屋を見に行くのではありません。こうした「土産物を売る観光地マインド」っていうのは昭和の昔には多くの日本人に受け入れられたのかもしれませんが、もはや時代が違います。土産物屋のノボリで客引きするのではなく、日本の誇る古くからの文化や美しい自然をありのままの姿で魅せていくこと。それがこれからの日本の観光立国としての姿勢だと思いますし、そうでなければ多くの外国人観光客を惹きつけるようにはなれないのではないかと思います。
日本政府も効果の薄い表面的な誘客事業に精を出すより、まず日本の観光地を作り替えてその魅力を全面的に発揮できるような体制を整えるところから始めるべきではないでしょうか。
佐々木俊尚(ささき としなお)
1961年兵庫県生まれ。毎日新聞社、アスキーを経て、フリージャーナリストとして活躍。公式サイトでメールマガジン配信中。著書に『レイヤー化する世界』(NHK出版新書)、『キュレーションの時代』(ちくま新書)、『家めしこそ、最高のごちそうである。』(マガジンハウス)など。
公式サイト http://www.pressa.jp/
Column
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2014.07.25(金)
文=佐々木俊尚