1800年代後半のジャポニスムから現在にいたるまで、古今、世界を刺激する“日本の美”は、日常の中で醸成されてきた。

 空間を仕切る衝立や襖、道具やちり紙にまで宿る美意識は、芸術と用の美を峻別することのない独自の感性によって成り立ってきたのだ。

 時を超え美を継承する職人たちの手業を求めて京都を旅する。

 日本の美の原形に触れてみたい――。そう願うなら、うってつけの場所がある。開創から700年の時を経た大徳寺、その小院である大仙院を訪ねてみよう。


室内を覆う陰翳が「美」を生み出す装置となる

 京都・紫野の地にある大徳寺の広大な境内に足を踏み入れ、石畳の参道を抜けた先に、大仙院はある。一帯には室町時代の創建当時そのままの空気が濃密に立ち込め、私たちが「日本的なるもの」と感じる美が凝縮して留められている。

 本堂(方丈)は、1513年に建立された。現存する方丈建築としては、東福寺龍吟庵に次いで古いものとされる。禅宗の修行に励む人々が日常を過ごす場であるゆえ、過剰な装飾は排され、とことん簡素で合理的な造りとなっている。大きな空間を襖でいくつかの間に仕切る形式は、のちに一般へ広まり、日本の住まいの典型となっていく。

 方丈内に佇んでいると、深くせり出した軒が、室内に穏やかな暗がりをもたらしていることに気づく。夏の厳しい直射日光を遮り、冬の淡い日差しを建物奥へと導く。こうした光のコントロールによって生まれた陰翳が、日本の家屋空間特有の美を生み出している。

 谷崎潤一郎はかつて随筆『陰翳礼讃』にこう記した。

「われわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った。事実、日本座敷の美は全く陰翳の濃淡に依って生れている」

 実際に大仙院で薄暗い室内から庭を眺めれば、白砂の反射や深い緑が生々しく眩しいものとして目に飛び込む。暗闇があればこそ光がその輪郭を露わにし、いっそう輝いて見えるのは本当だ。日本の美の作法が、ここに息づいている。

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