いよいよ終盤を迎える朝ドラ「ばけばけ」。主人公トキ(髙石あかり)と夫・ヘブン(トミー・バストウ)のモデルとなった小泉セツ、八雲夫妻の歩みにも様々なことがありました。

 1891年、松江を離れ、家族とともに熊本の高等中学校へ赴任した八雲。勝手の違う熊本での生活に戸惑うなか、ある日本人に出会い、敬意を抱きます。

 夫妻のひ孫で小泉八雲記念館館長を務める小泉凡さんが2人を語った『セツと八雲』(朝日新書)より一部を紹介します。(全5回の1回目2回目「34歳で逝った親友と小泉八雲の“最後の対面”」を読む


錦織(吉沢亮)のモデルに明かした“熊本の印象”

 神々の国の首都・松江からやってきた八雲です。松江は古代から続く歴史、風土が底流する土地柄です。熊本城と同じように象徴的な存在、松江城は明治維新の後も廃城を逃れ、築城以来の佇(たたず)まいが保たれていました。八雲にはこの城下町だけでなく、古き良き日本を存分に感じさせる出雲大社や山陰の随所に追憶があります。

 そのせいでしょう。同じ城下町であっても、八雲には戦災で古いものが失われた熊本の街が殺風景に見え、残念な思いを抱いていました。

「わたしがこれまで日本で住んでいた一番興味のない都市であることに変わりはありません」

 こんな後ろ向きな心情を松江への赴任以来、公私にわたって支えてくれた親友・西田千太郎への書簡で明かしています。

 熊本に赴任した1891(明治24)年の3年後、日清戦争が開戦となります。欧米列強へ追いつけ、という軍拡が続く頃でした。軍事費が国家予算の多くを占めていきます。

 西南戦争の激戦地になった熊本にはその後、陸軍第六師団という大きな組織の司令部が置かれました。「軍都」として勢いを増し、「兵隊であふれている」と記したように熊本市が変わってゆく様に、八雲の気持ちは曇りがちでした。変わらぬ自然を尊び、見えざる世界に真理を求めるのが彼の生き方です。

 その頃、友人の日本学者バジル・ホール・チェンバレンへの手紙(1893年12月14日付)では、こんな胸の内も明かしています。

「人生に生きる目的を与えてくれたのはゴーストです。(略)彼らは私たちに生きる目的、自然を畏怖することを教えてくれました。ゴーストもエンジェルもデーモンも今はもういません。この世の中は電気と蒸気と数字の世界になってしまいました。それは味気なく、空しいことです」

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