夏目漱石も勤務、歴代首相を輩出した名門校

 この第五高等中学校は1887(明治20)年、帝国大学に入るための学力養成機関として創立されました。いわゆるナンバースクールで、後に第五高等学校と改称され、八雲の退任後になりますが、英国留学に向かう前の夏目金之助(漱石)も勤務しています。卒業生として昭和の高度経済成長時代に首相を務めた池田勇人や佐藤栄作らがいます。

出会った日本人で最も英語を立派に話す嘉納治五郎

 良き出会いもありました。

 出迎えた校長は、柔術の大家として知られる嘉納治五郎(かのうじごろう、1860~1938)です。八雲はこの人物にひかれました。

 西田にこんな風に知らせています。嘉納はこれまで会った日本人の誰よりも立派に英語を話す、としたうえで、

「性格は同情心にあふれ、まったくかざらず正直です。これは人格のできた人の特色といえるでしょう。一度会っただけで、久しい友であるかのような気がするのです」

 柔術の稽古も見学に行きました。直線的に動こうとする西洋人とは違い、敵の攻撃する力をうまく使って敵を倒す様子に驚いています。いわば、暴力の裏をかく精神の鍛錬だと感じ入っていました。

 敷衍(ふえん)すれば、明治の日本が西洋の文明を受け入れ、鉱山や工場、造船所、鉄道に郵便、学校制度などをつくり、ひろげている根底に、こうした柔術の精神がある。近代化に成功しているのは、西洋の力に屈するのではなく、古くからの倫理や道徳を保ちつつ、文明を移入していかしているのにすぎない。そう実感したのです。

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