あるとき娘に、「お母さんはいつもピン太郎ちゃん(娘の愛称)に『もっとこうしてほしいな』とか、いろいろ言っちゃうけど、逆にお母さんにこうなってほしいとかある?」と聞いてみたことがあるんです。即答で「ない」と返ってきて、人として負けたと思いました。親の愛は無償の愛というけど、自分はエゴだらけだった。子どものほうが無償の愛を向けてくれていたんですね。

 だから学びだらけで、「これは本当に面白い!」と。子育てに時間をとられたら、自分の成長が停滞すると思っていたけど、目標のベクトルを“子どもから学ぶ”というところに設定したら、めちゃくちゃ自分の人格が磨かれていっている気がする。もっとどっぷりとこの時間に浸かりたいという気持ちが大きくなっていきました。

自分のなかでは一大決心というイメージはありませんでした

 2021年の秋頃、心が決まったところで、スタッフの方々に降板の相談をしました。

 番組終了を発表したとき、同業の方々からは「レギュラー番組を手放すなんて信じられない」と言われました。確かにもう少し若ければ、「社会で戦う武器をやっと手に入れたところなのに……」と躊躇していたかもしれません。でも私は30代のすべてを仕事に費やし、手にした武器の種類も増えていた。本気になればまたなんらかの仕事を取りにいける、自分の居場所を築いていける自信もあったし、なければないで、やるだけやったという気持ちもありました。

 私の人生って行き当たりばったりなんですよ。その時その時でやりたいことを選択するけど、同時並行でやるのはせいぜい2つが限界で、「無理だな」と思ったら優先順位をつけて手放してしまう。そのほうが一つ一つが自由なんです。

 そう考えると、帯番組を手放したのも自然な流れで、自分のなかでは一大決心というイメージはありませんでした。

※記事全文は『週刊文春WOMAN2025秋号』で読むことができます。

Tamao Akae
フリーランスアナウンサー。1975年兵庫県生まれ。97年に朝日放送に入社、バラエティー番組や情報番組番組を中心に活躍し、07年にフリーに転身。12年にスタートしたTBSラジオ『赤江珠緒 たまむすび』は、23年の最終回まで11年間続いた。アナウンサーとしての出演番組は『サンデープロジェクト』『スーパーモーニング』など。私生活では08年に結婚、17年に長女を出産。

2025.10.02(木)
文=「週刊文春WOMAN」編集部
写真=鈴木七絵