当時は見えていなかった点字ブロック

授業が終わり、いざひとりでスタート地点に立つと、ひざと白杖を持つ手が震えた。ビビっている震え、そこに冒険に出る前の武者ぶるいが加わり、その上に、やり遂げた瞬間を想像しときの震えがトッピングされていた。
四谷から四谷四丁目の交差点までは歩道も広く、点字ブロックもきれいに敷かれている(見えていたころは見えていなかったけれど)。その道を、地元の館山とは比べものにならない人の波をかき分け進んでいく。記憶の中の景色がぼんやりとした視界に投影され、ここはあのカフェ、ここはあのパン屋、そしてここはかつてのオフィスがあった場所、というように、まるでオリエンテーリングのチェックポイントを通過するかのごとく、僕は妻との距離をどんどん縮めていった。
新宿御苑前に差しかかると歩道がせまくなり、足元の手がかりもなくなってしまったが、ここで歩みを止めるわけにはいかない。この横断歩道を渡れば、新宿三丁目は目と鼻の先だ。しかし新宿三丁目に近づけば近づくほど、さらに人も増えて歩きづらくなり、いよいよそれは伊勢丹の前で頂点に達した。
ここでようやく立ち止まり、ひと呼吸。妻に電話をかけると、新宿駅の新南口にあるカフェにいることがわかった。そこまでのもっとも安全で歩きやすい経路を脳内 Google マップで検索し、再び僕は歩き始める。脳内 Spotify では、小沢健二の「愛し愛されて生きるのさ」が流れだす。どんな言いわけを用意して、君の待つカフェへと急ごうか。
だいぶ速くなっていた。それは息を切らしていることもあったが、大半は、ついに彼女に会えたという胸の高鳴りだった。
「ここまで歩いてきたの、すごいでしょ?」と、僕は得意げに尋ねた。すると彼女は「別に。だって私、あなたがこれくらいできるの、知ってるもん」と、例によって淡々と答えるのみだった。これが彼女にとっての信頼の表現なのだろう(と、僕は信じたい)。「あぁ、この人にはかなわないな」と思いながら、僕は彼女の隣に腰を下ろし、安堵のため息をついた。
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目の前に神さまが現れ「あなたが願うのならば、再びあなたの目を見えるようにしてあげましょう」と言ってきたら、僕は少し戸惑ってしまう。もちろん、家族の顔をこの目ではっきり見たいとは思うが、はたして再び目が見えるようになることが僕の願いなのかと問われれば、首をかしげながら手をあごに当ててしまうだろう。
現代社会においては目が見えているほうが圧倒的に便利だろうし、享受できることが多いのもわかっている。しかし、目が見えなくなって見えてきた、目に見えない大切なものを見失ってしまうかもしれないと思うと、目先の誘惑に飛びつくことを躊躇してしまう。もしかすると、目の前でささやいているのは神さまではなく、悪魔かもしれないのだ。
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》【前篇を読む】36歳で一夜にして視力を失った男性がプライドをへし折られた“まさかの選択”
石井健介(いしい・けんすけ)
ブラインド・コミュニケーター。1979年生まれ。アパレルやインテリア業界を経てフリーランスの営業・PRとして活動。2016年の4月、一夜にして視力を失うも、軽やかにしなやかに社会復帰。ダイアログ・イン・ザ・ダークでの勤務を経て、2021年からブラインド・コミュニケーターとしての活動をスタート。見える世界と見えない世界をポップに繋ぐためのワークショップや講演活動をしている。また2012年からセラピスト活動を開始。自然体でニュートラル、自分の内側にある静けさと穏やかさを見つけるための水先案内をしている。
X:@madhatter_ken
Instagram:@kensuke_ishii_ecec

見えない世界で見えてきたこと
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2025.06.27(金)
文=石井健介
撮影=小禄慎一郎