早稲田大学名誉教授・加藤諦三「悪口ばかり言う人が、幸せになれない理由」〉から続く

 他人の粗探しがやめられない人が抱える心の闇とは? ニッポン放送の名物番組「テレフォン人生相談」でもおなじみの、早稲田大学名誉教授の加藤諦三氏の新刊『人はどこで人生を間違えるのか』(幻冬舎)より一部抜粋してお届けする。(全2回の2回目/最初から読む)

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自分の存在に意味を感じられない人が「嫌がらせ」にはしる

 自己憎悪している人は、ターゲットとなる他人と対立することが、自分の存在価値になる。その人と敵対していることが生きている意味になる。

 もともと外化で生きている人は、その結果として自己無意味感、虚無感に苦しんでいる。自分の存在に意味を感じられなくなっている。そういう時に、自分の心の中にある敵意や怒りや恨みを、ある人に外化する。敵意を持ち、悪意を持ち、虚栄心を持っているのは実は自分なのだが、それを相手に外化して、相手が敵意や悪意を持っていると見なす。

 自分がヒステリックなのに、相手がヒステリックだと見なす。そして、勝手に相手に敵意や虚栄心を付与して、自分が付与したものに、自分が反応し始める。つまり、攻撃をし始める。

 他人の粗ばかり探して、ヒステリックに責め立てる。そうしていないと、自分が自分自身の心の葛藤に直面してしまいそうで怖い。人に高すぎる基準を要求するのは投影である

 現実とは関係のない一人芝居である。

 よく「執拗な嫌がらせ」をする人がいるが、そういう人がこれである。

「何でここまで」と思うが、嫌がらせをしなければ、その人は生きている意味を見失ってしまうのである。

 普段は退屈で虚しいが、嫌がらせをする時にのみ生きがいを感じる。そしてこういう人は、嫌がらせをすることでしか、人と関われない。どう人と関わったら良いかわからない。そこで、嫌がらせをすることで人と関わる。

 フロムが言うように、人は人と関わることなしに、正常ではいられない。「執拗な嫌がらせ」をしている人は、子どもが大切ではない。仕事が大切ではない。夫婦関係がうまくいっていない。

 大切なものは何もない。現実に側にいる子どもや配偶者は大切ではないが、人と関わらないでは生きていかれない。そこで外化をして人と関わっていこうとする。従って、暇人が「執拗な嫌がらせ」をする。

人はどこで人生を間違えるのか

定価 1,034円(税込)
幻冬舎
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2025.05.24(土)
文=加藤諦三