この記事の連載

 キム・ナレさんの料理を味わって、驚いた。体が喜ぶ、しみじみとおいしい韓国料理の世界がそこにあったから。新著『一汁一飯 韓定食』(グラフィック社)では「家ごはんは素朴で簡単であるべき」のセオリーを掲げ、「具が多めの汁もの&雑穀や野菜を加えたごはん」のシンプルスタイルを提案する。ナレさんが伝えたい韓国の味と、その料理観を聞いた。


韓国の家庭料理は、やさしい味のものも多いんです

――ナレさんのレシピ本を読むと、「体にやさしい味」「体に負担をかけない味つけ」といった言葉がよく出てきて、印象的です。

ナレ 私は2015年から日本で料理教室を始めたんですが、当時はチーズタッカルビが人気の頃。教室でも日本の韓国料理店で人気のものや、定番の味を教えていたんです。やっぱりニーズがありますから。あるとき私が体調を崩して教室をお休みにしたとき、やっぱり健康についてより考えるようになって。自分の食生活と、教える料理の両方を全面的に見直しました。

――具体的には、どのように?

ナレ たとえば醤油やコチュジャン、油などを必要以上に使っていないか。うま味はここまで強くしなくてもおいしいんじゃないか、と。簡単にいえば、全体的に味つけを控えめにして、「ちょうどいいおいしさ」を考えました。濃いめの味はパンチもあって、食も進みます。でも家庭の味は毎日食べるものだから、そんなに濃くなくていいよね、と。

――濃いと食べ飽きてしまうのも早い、という面もありますね。

ナレ そうそう! 韓国料理ではにんにくや唐辛子もよく使うけど、「やたらと使わない」を大事にしています。そういう私の料理を「新しい韓国料理」なんて言ってくださる方もいるけれど、韓国ではよくある味なんです。でも、日本ではまだあまり知られていない味。

――刺激の強くない味というのは、ナレさんが食べ慣れてきた味なのですか。

ナレ はい、母や祖母の味ですね。韓国の家庭料理は、やさしい味のものも多いんですよ。でもお店だと、やっぱり食べたときパッと「おいしい!」と思わせる料理を作らなくちゃいけない。

――家庭の味が外で体験しにくいのは、日本も韓国も同じですね。そんな韓国の家庭料理を教えるようになって、反響はいかがでしたか。

ナレ 喜んでもらえました。「健康的にはこの味つけどうなんだろう……」と思っている人は、予想より多かった。「飾り気はないけれど、元気になれる韓国料理」を広めたいという気持ちが強まりました。

――ナレさんは日本での暮らしも長く、日本の食文化を意識されることも多いと聞きます。

ナレ 日本の食文化ってクオリティがすごく高い。吉野家の牛丼ひとつでも、あの値段であんなおいしいのが食べられることに最初、驚きました。あと料理をしない人でも、外食するときに「旬のごはんを食べたい」と思う人が多い。みんなの頭の中に、旬を意識する感覚がある。もちろん韓国でも食材の旬はあるけど、全体的な旬への意識は日本人って強いなあと思いますね。韓国の味と日本の旬の素材を組み合わせた料理を作っていきたい。

――その他に、大事にされていることはありますか。

ナレ 再現のしやすさです。韓国の調味料や食材など、手に入りにくいものがレシピに多いとハードルが上がってしまうでしょう? 私もフレンチを日本で習っていたとき、復習しようと思うと食材の買い出しで丸一日かかってしまう。中々手に入らないものが多いから(笑)。そして翌日は仕込みでまた丸一日……! これじゃ大変。みんなが作りやすく、気軽に作れることを大事にしたい。そして「全員がおいしい」を目指さず、10人中8人がおいしいな、また作りたいなと思ってくれる料理を目指しています。

――その一方で本格キムチの漬け方や、豆乳を使うレシピなどでは豆乳の仕込み方から載せていますね。(ともに『おいしい韓国料理のレシピ』2023年 朝日新聞出版)

ナレ あははは、あれはちょっとマニアックですよね(笑)。でも私の本を読んでくれる人の中には、絶対私みたいなマニアックな料理好きもいるはず、と思って載せたんです。豆乳の話のついでに言うと、韓国では豆腐屋さんがまだまだ多くて、豆乳はもちろん、大豆をゆでた水も売っているんですよ。料理の出汁がわりに使ったり、塩を加えて水のように飲んだりします。

――あまり知られていない韓国の調理法や食材と出合えるのも、ナレさんの本の魅力ですね。新刊『一汁一飯 韓定食』ではシレギ(大根やかぶの葉を干したもの)や干しムール貝など、ぜひとも食べてみたくなりました。

ナレ おいしいんですよ、干しムール貝! うちのアシスタントさんも大好き。こんな韓国食材もある、こんな味わいの韓国料理もあるんですよ、というのを広げるひとりになりたいとずっと思っています。

2025.04.23(水)
文=白央篤司
撮影=平松市聖