この記事の連載

16歳までの人生を横浜で過ごした伊藤さんは、大学受験を機に上京。以来、自分の中の世界の基準が東京になったのは、”東京に毒されている”から? 「東京」をめぐる思いと、大学時代に出会ったある友人との思い出を綴ります。

 フランス語圏文化学科。入るのは簡単だが、そう簡単には出してもらえないと噂のこの学科では、2年生までの授業でみっちりフランス語の基礎を叩きこまれる。最初のガイダンスで隣に座った女の子が突然「パン食べる?」と聞いてきた。たしかチョコクリームの入ったちぎりパンだった。彼女は大きな目に尖った細い顎をしていて、髪は栗色のハーフアップ、うちの近所ではなかなかお目にかかれない、美しい子猫のような顔立ちをしていた。仏文科は美人が多いという話は本当だったのか。仲良くなりたい一心で、とくに食べたくもないちぎりパンをありがたく分けてもらう。彼女の名前はユリ子という。大学での最初の話し相手になった私たちは、ユリ子が気になっているというサークルの新歓に参加した。このあたりは記憶があいまいで、実際は私がユリ子を誘ったというのが真実かもしれないし、もしかすると、ちぎりパンを差し出したのも私のほうかもしれない。どちらにせよ、私たちは同じサークルに所属することになった。サークルにはユリ子と私のほかにも、仏文の女子が5、6人入ったが、結局卒業まで活動した仏文生は私とユリ子だけだった。同じ学科に入学し、同じサークルに所属したものの、私とユリ子は一日中いつでもどこでも一緒というわけではなく、それどころかサークル活動中も別々に行動することがほとんどだった。最初に友人になったからといって親友になるわけでもなく、むしろ新しい環境での最初の友人とは、大抵いつのまにか微妙な距離感になっているものである。美人で明るくお嬢様気質で、他の学生ともすぐに打ち解けたユリ子に対し、私は自分も女子であるのに、女子ばかりの環境がなんとも居心地が悪く、早々にサークルの男子たちと喫煙所に落ち着いた。私はたびたびユリ子の機嫌を損ねた。話しかけられるとなんだか照れてしまって、無神経な返事をしてしまう。そのたびにユリ子は目をさんかくにして「しんじらんない」という顔をした。私はユリ子のその顔が好きだった。

2025.02.04(火)
文=伊藤亜和
イラスト=丹野杏香