「天女だ」

 呆然と、どこか恐れるような声音で呟く弟を見て、急に、伶は夢でも見ていたかのような心地が解けた気がした。

 あれほどに麗しい女を、伶は見たことがなかった。

 それなのに、あんな楽才まで持ち合わせているなど、あまりに出来過ぎて(・・・・・)いる。

「天女というより、物の怪の類だろ」

 吐き捨てた声は、負け惜しみのようにむなしく響いた。だが、そんなことはないと怒ってくれればまだ良かったのに、倫は伶の言葉が聞こえていないかのように何も言わなかった。

「帰ろう、倫。まったく、お前が竜笛を吹いたから、ばれてしまったかもしれないぞ」

「ああ、うん……ごめん……」

 倫の目があまりにも茫洋(ぼうよう)としているので、伶は、何か取り返しのつかないことが起こってしまったような嫌な予感がした。

 結局、双子が寝床を抜け出して姫君を垣間見したことは、誰にも気付かれなかった。

 若い貴族の間で垣間見をするのはよくあることらしいから、案外、そうした者の仕業だと思われたのかもしれない。

 ほっと胸を撫で下ろした伶であったが、それとは違った心配を抱えることになってしまった。

 あれ以来、倫が、夜にふらりといなくなってしまうようになったのだ。

 周囲が寝静まった頃、そっと起きて出て行くのを初めて見た時には、あまりのことにゾッとした。

 あの女に会いに行っているのだ、と思った。

 伶と倫は、二人で支えあって生きて来た。自分達以外の誰かに対する秘密を共有することはあっても、お互いに対して隠し事をするなんて、これまでだったら絶対にあり得なかった。

 何より、密会が見つかれば、倫だけの問題ではなくなるのだ。自分に迷惑をかけ、これほどまでに心をかけてくれた母を裏切り、世話になった師匠達を失望させることになる。一体何を考えているのかと、二人きりになった時に問い詰めた。

 しかしそれを聞いた倫は苦笑した。

「大丈夫。伶が思っているようなことは、何もないよ」

2025.01.16(木)