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土井善晴に自炊の相談をしてみたら

――そして、土井善晴さんもコロナ禍だから話をしてみたい、と岡村さんからのリクエストで。あの頃の岡村さん、外食することができないので自炊することにハマってました。ホイップクリーム大盛りのパンケーキの写真を見せてくれて(笑)。

岡村 だから、料理について聞きたかったんです。免疫力を上げるためにはお味噌汁がいちばんだし、土井さんが提案する一汁一菜は「ご飯とお味噌汁と漬物」のことですから。でも、対談の初っぱな、「うどをもらったから、酢味噌和えにして食べようと思って、うどを酢水に浸したんですが、結構、めんどくさいですね」みたいな話をしたら、怒られてしまいました。

――「うどを酢水に浸す? 家で食べるだけなのに?」(笑)。「暇だから料理をする」という考え方が間違っている、とピシャリ。料理は「しなくちゃいけないものだ」と。

岡村 「生きる」と「料理」は同義なのだとおっしゃっていましたね。

異色のゲストから受けた刺激

――異色のゲストといえば、日本文学者のロバート キャンベルさん、環境活動家のアイリーン・美緒子・スミスさん。

岡村 お二方とも「どんな人なんだろう」と。キャンベルさんは生粋のニューヨークっ子だけど日本文学に心酔したことに興味を持ったし、アイリーンさんは実在した報道写真家をジョニー・デップが演じた映画『MINAMATA』を観て感動したのがきっかけ。

――アイリーンさんは、日本人の母とアメリカ人の父を持ち、1970年、スタンフォード大生時代に報道写真家ユージン・スミスとニューヨークで出会って結婚、その後すぐに水俣病の惨状を世界に伝えようと、2人で熊本県の水俣に移り住み、被害者に寄り添って取材活動を始めた、という女性。『MINAMATA』はそんなユージン&アイリーンさん夫妻の伝記映画です。

岡村 素晴らしい方だった。公害病といえば、水俣病、四日市ぜんそく、イタイイタイ病などが知られていますが、僕は子供の頃、それについて学んだことをよく覚えているんです。でも、そのときは、遠い過去の話だと思っていた。歴史上の出来事だと。でも、全然そうではない。水俣病の被害に苦しむ人たちが国や権力と激しく戦っていたのは60年代からの話ですし、損害賠償訴訟はいまもまだ続いていますから。

――水俣湾の安全宣言が出されたのも1997年のことですから。

岡村 僕が子供の頃、体温計には水銀が使われていたんです。それを口の中に突っ込んで体温を測ったりして。いまの体温計には水銀なんて入ってないけれど。

――現在は「水俣条約」という国際条約が締結され、水銀を使った製品は世界的に規制されるようになっています。

岡村 これもアイリーンさんたちが水俣病を世界に周知させた結果なんでしょうね。それにしても、彼女の人生はかなりユニーク。ユージンさんとの壮絶な暮らしを経て離婚して、その後2回の結婚を経験されている。パワフルでチャーミングな方でした。

――報道写真といえば、「週刊文春」などで活躍されているカメラマンの宮嶋茂樹さんとの対談も。

岡村 数々のスクープ写真をどうやって撮ったのか、彼がなぜ戦場の写真を撮りに行くのか、ウクライナの話も興味深かったですよね。

岡村靖幸(おかむら・やすゆき)

1965年兵庫県生まれ。音楽家。

幸福への道

定価 2475円(税込)
文藝春秋
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2024.12.27(金)
文=辛島いづみ
写真=佐藤 亘