たとえ父親であっても、食べ物の恨みは恐ろしい。
キリスト教の告解のように、罪を懺悔しているのか?
コンクールの「ごめんなさい」はハガキに書くだけなので、相手には伝わらない。なのになぜ、3万3820通も寄せられたのか。
「海外ではキリスト教の告解のように、罪を懺悔する場があります。日本にはそうした場がないので、『ハガキでごめんなさい』が代わりになっている面はないでしょうか」と担当職員の竹中さんは考えている。
安岡事務局長も「面と向かっては言えないけど、スッキリしたいとか、楽になりたいという気持ちは、誰にでもありますよね」と言う。
徳久さんは「『あの時、言えばよかった』というような『ごめんなさい』は、心の奥底にいつまでも残り続けます。言うべき相手がこの世にいないこともあるでしょう。胸にしまい続けるのではなく、一枚のハガキに書くことで、心のつかえが取れることもあります。
『ごめんなさい』という言葉は本来謝罪に使われます。そこには『自己解放』という側面もあります。言う人も、言われた人も、赦され、救われる部分があるのではないでしょうか」と話す。
一枚のハガキが持つ意味は大きい。
撮影=葉上太郎
〈《「ハガキでごめんなさい」全国コンクール》「言いそびれた『ごめんなさい』」には、なぜ泣ける話と笑える話が同居しているのか〉へ続く
2024.12.13(金)
文=葉上太郎