近年の応募数は毎年1500~2000通程度だ。内容は時代や世相を反映する。
徳久さんは「以前は『検便に弟のウンチを入れて出したら、ギョウチュウ検査で引っかかった』というようなものもありました。ウンチは『マッチ箱に入れて提出した』と書いてあったので、時代を感じさせますね」と話す。
安岡事務局長は「お姉ちゃんのお菓子を食べてごめんねというようなのも、以前はちょこちょこありましたが、最近はあまり見ない」と言う。「兄弟姉妹の関係が穏やかになってきているのかもしれませんね」と担当の竹中さんは分析する。
時代や世相を反映するハガキには、震災の話題も
年によっての傾向もある。
東日本大震災が発生した2011年は、「大変なことが起きてしまい、もうハガキは来ないだろうと思いました」と徳久さんは振り返る。だが、前年の2倍ほどの1825通が届いた。「特に東北地方から結構な枚数が寄せられたのは驚きでした」。
この年度、大賞に選ばれたのは津波で深刻な被害を受けた宮城県名取市に住む17歳からのハガキだった。同市では震災による死者が884人、行方不明者は39人(2014年1月31日時点)に及んだ。
<父にごめんなさい
私は小学生のようなコミュニケーションをとる父が嫌いでした。ですが、
3月11日の東北大震災。父を残して逃げた私達。ラジオから聞こえてくる地元の死者の数…。私は怖くなりました。
数日後
ボロボロの姿で
私達の前に現れた
父。
くだらない事で
嫌って
ごめんなさい>(第8回大賞)
ハガキには、膝を抱えて座った少女が、眉を寄せ、唇を結び、涙を流す姿が描かれていた。
ただ、応募されたハガキ全体を見ると、「震災を直接の題材にしたものはあまりなかった」と徳久さんは記憶している。
「本当にショックを受けた人は、そのことを書いて送れないのだと思います。気持ちに何らかの区切りをつけたいと考えた人は多かったのでしょうけれど」と徳久さんは見ている。
命のはかなさを見せつけた震災。お互いに生きているうちに「ごめんなさい」と言っておきたいと考えた人も少なからずいたのだろう。
「天国へ行ったやなせたかし先生」に宛てたハガキ
震災復興支援に力を入れたやなせさんは、2013年10月13日に94歳で亡くなった。
安岡事務局長は「これに影響を受けたのか、翌年度は悲しいハガキがたくさん寄せられました。読みながら泣きそうになったのを覚えています」と話す。
2024.12.13(金)
文=葉上太郎