住みやすいとは言えなかった土地がなぜリゾートに?
ラ・ボールのビーチリゾートとしての歩みは、1879年の鉄道の開通がきっかけでした。
それ以前は、ここは湿った砂丘が広がる、不安定な地盤。住みやすいとは決して言えなかったようです。1779年にはひとつの村が嵐によって砂に埋もれてしまったこともあったとか。ちなみに、ラ・ボールの地名は、洪水に見舞われやすい海岸の土地を意味する古ブルトン語の“ボル(bôle)”に由来しているそうです。
そして19世紀中ごろ、フランス人実業家説やナントの船主説など仕掛け人には諸説ありますが、松の木やハンノキなどを植樹することで地盤を強化。
折しも当時は、鉄道の普及に伴い、欧州やアメリカでは今のビーチリゾートの原型が形作られた黎明期。パリの実業家は地盤が強化されたラ・ボールに鉄道を引く構想を練り、遊歩道などのリゾートプランを計画しました。そして別荘としてのヴィラも、続々と誕生。今でも当時のヴィラが6000棟も残っているそうです。
そして1918年、ドーヴィルで成功していたカジノ実業家のフランソワ・アンドレがラ・ボールのリゾートの青写真を再構成。そのコンセプトは、カジノ、高級ホテル、アクティビティをひとつの敷地に揃えた、いわゆる統合型リゾートでした。
そのフランソワ・アンドレが、現在フランスやスイスでカジノやホテルを展開するリュシアン・バリエール・グループの創設者。今もラ・ボールには同系列の3つの高級ホテルがあります。
2024.11.30(土)
文・撮影=古関千恵子