著者を奮い立たせた存在は、ほかにもあった。佐伯敏子を十数年にわたって取材しながら、二〇〇八年に急逝したジャーナリスト、中島竜美。遺族から著者のもとに託された取材ノートが、執筆を励ます伴走役となったことも、ここに書き留めておかなければならないだろう。死者たちへの鎮魂の祈り、知らんふりのできない生き方、このふたつが本書を支える両輪の轍である。

ひとりひとりの生を、数字に埋没させてはならない

 原爆供養塔に眠るおよそ七万人、納骨名簿に記載される遺骨八一五柱。死者がひと括りの数字で語られることへの違和感、怖さを思う。数字のなかにひとりひとりの生を埋没させてはならない。二〇一七年、遺骨八一五柱のうち一柱の身元が判明、七十二年ぶりに遺族のもとに戻った。死者の語りに、私たちは耳を澄まし続ける必要がある。それが生きる者の義務であり、務めである。同年十月三日、佐伯敏子さんは九十七歳の生涯を閉じられた。

 五月に萌える新緑が、原爆供養塔を取り囲むようにしてさわさわと揺れている。初めて私が原爆ドームの前に立ったのは、小学生のときだった。平和記念資料館で受けた衝撃は今日まで色褪せることはないが、近年その展示内容が原爆の凄惨さを減じる傾向にあることが、どうにも引っかかる。さまざまな思いが湧き上がるなか、それでもあたりの静寂に導かれて心の波立ちを鎮め、手を合わせた。佐伯さんがこの世にいなくとも、佐伯さんそのひとの魂はきっとここにある。死者を葬り去ってはならない。忘れてはならない。歳月のなかに埋もれさせてはならない。しばらくひとり佇みながら、この原爆供養塔の前で出逢った佐伯敏子さんと著者の姿に思いを馳せた。そして、本書『原爆供養塔 忘れられた遺骨の70年』によってもたらされた〈読む〉という行為の強度を思い、あらためて畏敬の念を抱いた。

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2024.11.09(土)
文=平松洋子