供養塔の守り人、佐伯敏子さんの言葉
著者が佐伯さんの行方を探したのは二〇一三年が明けた頃、とある。九年前、著者は広島のテレビ局の報道部デスクとして、似島で行われた遺骨発掘作業の取材を最後の現場にしようと考え、しかし割り切れない思いを抱きつつ広島を去った。その心の揺れを、著者は、病に倒れたのち老人保健施設で暮らす佐伯さんに打ち明ける。いまなお似島で目にした遺骨が気にかかるのは、これまで自分が死者の存在について深く考えていなかったからではないか、と。告白を受けた佐伯さんは、示唆をあたえる。
「あなたが似島で見たのは、供養塔の地下と同じ、あの日のまんまの広島よ。死者の本当の気持ちにふれてしもうたんじゃ。じゃから、自分がこれからどうするか、自分の頭で考えんといけんよね」
本書は、佐伯さんの発問にたいする全身全霊の返答でもある。毎年七月、広島市が公表する「原爆供養塔納骨名簿」は、佐伯さんが原爆供養塔の地下室にこもり、懐中電灯で照らしながら写し取った記録を下敷きにしている。その名簿を手がかりに、船に乗り、新幹線や鉄道を乗り継ぎ、レンタル自転車を漕いで遺族探しをはじめる著者の姿は、まるで佐伯さんが乗り移ったかのようだ。そして、推理小説を地でゆく困難な作業を続けるうち、疑念が湧きはじめる。納骨名簿に記されている情報は、いったいどこまで正しいのか?
半年後の七月、取材の経緯を報告するため、著者はふたたび佐伯さんのもとを訪ねている。疑念を率直に打ち明けると、「おうとるほうが、不思議よね」。虚を突かれ、あわててテープレコーダーの録音ボタンを押した。では、間違っているかもしれないのに、なぜ佐伯さんはあれほど根気よく遺族を探し続けたのか。
堰を切ったように語られる、九十三歳の語り。
「――じゃから、遺族が分かるということのほうが奇跡なんよね……。でもそれもまた、本当は違うとるかもしれん、だけど、もし何か手がかりが見つかったら、それは伝えんといけん。いらんと言われても、伝えるだけは伝えんといけん。それは知った者の務めよね」
2024.11.09(土)
文=平松洋子