伊太楼から伊太郎、そしてイタロへ
ところで、「伊太楼」なる響きを耳にして、昭和の音楽愛好家がまず想起するのは、橋幸夫のデビュー曲「潮来笠」に違いない。つまり、潮来の伊太郎。

次いで、イタロディスコ。80年代のイタリアで生まれたユーロ感覚の濃い、すなわち水商売っ気が匂い立つダンスミュージックのジャンルである。その俗っぽさ、軽さ、いなたさゆえ、どうにも癖になってしまう魅力を有している。

右:マッチョのアルバム『アイム・ア・マン』は、とにかく何かに急き立てられるかのごとく全編がエモーショナルだ。表題曲は、スペンサー・デイヴィス・グループの名曲をイタロ色に染め上げた名カバー。ユニット名とジャケットから伝わってくる通り、「Y.M.C.A.」でお馴染みのヴィレッジ・ピープルにも通ずるセンスを感じる。
ここでふと思う。伊太郎=イタロという地口に導かれる形で、橋幸夫は、「潮来笠」をイタロディスコ化する構想を一瞬でも抱くことはなかったのだろうかと。
70年代晩期のディスコブームは、我が国の歌謡界の大御所たちをミラーボールきらめくダンスフロアへと引っ張り出した。その最大の成功例が、三橋美智也である。代表曲「夕焼けとんび」「達者でナ」をディスコ化したシングル「Mitchie Fever」は、『サタデー・ナイト・フィーバー』のジョン・トラボルタを気取ったジャケットが素晴らしすぎる。

結論から言えば、橋幸夫が余計な色気を出してイタロそのものに触手を伸ばすことはなかった。しかしながら、ディスコサウンドは、別の形でちゃっかり採り入れている。それが、「股旅’78」。

江戸時代のいわゆる渡世人が現代の東京にタイムスリップするという奇想天外な設定は、ピンク・レディーの諸作において荒唐無稽なSF的物語をお茶の間に届けてきた阿久悠ならでは。

2024.09.19(木)
文・撮影=ヤング