砂浜で再び倒れたあと、游娜が住む家で意識を取り戻した少女は、宇実という名を与えられることになる。元気いっぱいで天真爛漫、周りにいる人を自然と笑顔にさせる游娜。游娜の幼馴染で飯団(おにぎり)づくりの名人、男子でありながらこっそり〈女語〉の練習をしている拓慈。歳の近い二人の友人の助けを借りつつ、宇実はすこしずつ〈島〉での生活に適応していく。周囲にいる大人の島民たちはそれぞれに忙しく立ち働いているが、どこか余裕があって、みな親切だ。ところが〈島〉の最高指導者たる〈大ノロ〉は「外の人間」である宇実を厳しく突き放す。「出ていきたくないんなら」「春までに〈島〉の言葉を身につけなさい。そして〈島〉の歴史を背負って、ずっと〈島〉で生きていきなさい」。かくして宇実はとまどいながらも懸命に言葉の習練に勤しむことになる。

〈うつくしいひのもとことばをとりもどすためのおきて〉〈うつくしいひのもとぐにをとりもどすためのポジティブ・アクション〉(20p)――勘の良い読者なら、作中でちらつく謎の正体が私たちの住むこの国(・・・)の行く末をラディカルに転写したものであることにすぐ気づくだろう。その背後には歪んだ排外思想と空虚な伝統主義、そしてなにより為政者側の欺瞞がグロテスクに蠢いている。

 一方、〈島〉で生まれた子供たちは、血縁とは無関係に〈オヤ〉と呼ばれる大人たちに養育され、成人したあかつきには本人の希望に基づき、独立後に住む家を無償であてがわれるという。その際、誰かと共に暮らすのも、ひとりで暮らすことを選ぶのも本人の自由だ。恋愛が性別に縛られることもないし、女性が出産に縛られることもない。游娜たちが生きる〈島〉の社会のおおらかなありようは、家父長制に囚われて疲弊しきった現実の日本の社会システムの綻びを逆説的に照らし出していく。

 冒頭に据えられた一文は実に象徴的だ。

 砂浜に倒れている少女は、炙られているようでもあり、炎の触手に囲われ大事に守られているようでもあった。(9p)

 燃え盛るように赤くゆらめく彼岸花の群れのなかで倒れている少女の姿。この物語の語り手は、彼女が「炙られている」ようにも「守られている」ようにも映ると形容する。真逆の意味のようでいて、両者は実のところとても近い。いずれも象られるのは受動的で従属的な姿であり、行為の主体を担う立場からはあらかじめ弾き出されている。

2024.08.21(水)
文=倉本 さおり(書評家)