――こいつは、その気になれば、わたしをどうにでも出来るのだ。
それに気付いて、ようやく、背筋に恐れが這い登ってきた。
震えながら黙りこくった墨子に安心したのか、女は声をわずかにやわらげた。
「ちゃんと言うことを聞くならば、叩いたりなんかしない。いいね?」
無言のまま、必死で頷く。
もう、痛いのは嫌だった。
それからしばらくの間、墨子は山烏の男児の格好をさせられたまま、あちこちを転々と移動した。
大体は、最初に閉じ込められたような小屋で寝泊りし、移動は夜に行われた。
粗末な衣も、不味い食事も、汗の匂いのする男に抱えられての移動も、全てが嫌で嫌で仕方なかったが、誰も、墨子のことを気遣ってはくれなかった。
青嵐は、墨子を叩いた日から姿を見せず、男達は、必要最低限しか話そうとしない。何が起こっているのかも、これからどうなるのかも全く分からなかった。
心細くて、毎晩のように泣きながら、それでも、きっと父が助けに来てくれるという、それだけを希望に墨子は耐えた。
再び青嵐が姿を現したのは、南家から攫われて、十日ほど経った後のことだった。
「お前が住むところが決まったよ」
開口一番に言われた言葉に、墨子は耳を疑った。
「わたしの、住むところ……?」
「ああ、そうだ」
わけのわからないまま連れて行かれたのは、墨子も見覚えのある寺院であった。
忘れるわけがない。そこは、南本家の菩提寺である、慶勝院であった。
拐かされて連れて来られるにしては、あまりに意外な場所だった。青嵐と墨子を出迎えた神官達も見知った顔で、しかし、今はみんな一様に、緊張した面持ちをしていた。
もしや、寺院の中に父母がいるのではないかと期待したが、柱の陰からこちらを覗いているのは、粗末な身なりをした子どもばかりである。
「今日からお前は、ここで世話になるんだ」
ちゃんと挨拶しな、と促されて、困惑した。
2024.07.04(木)