この記事の連載
体の動きから読み解く「人は自分とは違う」という当たり前のこと
ところで、最初にこの漫画を瀬田なつき監督が映画化すると聞いたとき、少し驚いた。『5windows』(2012年)、『PARKS パークス』(2017)、『ジオラマボーイ・パノラマガール』(2020)など、しばしば若い少年少女たちを主人公にしてきた瀬田監督の映画は、どんな作品もミュージカルのようだといつも感じていた。
登場人物たちの発するセリフはどれも不思議な軽やかさをまとい、テンポよく進む会話のなかで、意味から解き放たれた言葉は、歌のようなリズムを奏ではじめる。ぴょんぴょんと飛び跳ねるように歩き、疾走する子供たちは、みなダンスを踊っているよう。その軽やかな動きとリズムこそ、瀬田映画のもつ大きな魅力だと思っていた。だから、ひとつひとつの言葉がどっしりと重みを持つ『違国日記』という漫画作品を、瀬田監督がどんなふうに映画化するのか、意外に思いつつ、楽しみでもあった。
映画は、やはり人々の体の動きに注目する。朝を演じる早瀬憩の体は、両親の事故を目撃し呆然と立ち尽くすことから始まり、やがて少しずつ子供らしい動きを獲得していく。中学からの親友えみり(小宮山莉渚)や、高校で新しくできた友人たちと一緒にいるとき、朝はいつも軽やかに踊っている。歌を口ずさみながら学校の廊下をスキップし、友だちの周囲を飛び跳ね、家に帰れば槙生の言う一言一言にその都度ぱっと振り向いては目を丸くする。その姿は、未知の世界を知ろうとしている小動物のようだ。
一方の槙生は、基本的に家で仕事をしている人だからか、普段は自分の部屋の机の前でじっと座り込み、体を縮こまらせてばかりいる。外に出ても、軽く背を丸めて歩く彼女は、朝とは対照的に、一歩一歩ゆっくりと足を進めていく。学生時代からの親友の醍醐奈々(夏帆)と比べると、槙生の体の硬さがよくわかる。元恋人の笠町(瀬戸康史)が隣にいるときも、彼に触れるべきかどうか、もっと近づいてもいいのか、彼女はいつも慎重に他人との身体的距離を測っている。
そんな朝と槙生の体の動きはどうやっても合わない。背中を丸めゆっくりと歩く槙生のまわりを、朝がふらふらとまとわりつく。その様子はまるで、生育環境も体の大きさも異なる二匹の動物が無理やり一緒に歩いている感じ。バラバラなふたりの体は、ときにぶつかり、ときに離れながら、やがて不器用なリズムを奏で始める。そこにそれぞれの友人知人が加わることで、より騒々しく、破茶滅茶な音が鳴る。その過程が楽しくてしかたない。何より、登場人物みんなの体の動きを見ていると、人によって歩き方やその速度、身のこなし方はこんなにも違うのだと、当然のことに気付かされる。
2024.05.31(金)
文=月永理絵