フランスで誕生し、その世界観と味わいで愛されてきた「ラデュレ」。2008年に銀座にオープンして以来、日本でも愛され続けてきたサロン・ロ・テが惜しまれつつクローズしたのは、2023年8月末のこと。
それから約8カ月を経た2024年4月、サロン・ド・テを併設する「ラデュレ日比谷店」がオープン! 2021年にメゾン・ラデュレ シェフ・パティシエに就任したジュリアン・アルバレスさんによるパティスリー(ケーキ)やマカロンもお目見えし、待ちかねた日本のファンから歓喜の声が上がっています。
「ラデュレ 日比谷店」のオープンに合わせて、メゾン・ラデュレのシェフ・パティシエとして初来日した、ジュリアン・アルバレスさんに話を聞きました。
「ほかのお店で働きながらずっとラデュレに注目していた」
――シェフと「ラデュレ」の出合いはどういうものだったのでしょうか。
私が生まれたのは、フランス南西部のベルジュラックという田舎町。父が料理人でもあり、おいしいものに囲まれて育ったこともあって、パティシエの道を選び、同じくフランス南西部のペリゴールにあるブーランジュリー・パティスリーで働き始めました。
当時は今ほどSNSが発達していなくて、情報が入りにくい時代でしたが、それでもラデュレの名前は知っていました。それで、その頃初めてパリに行ったとき、ラデュレのシャンゼリゼ店に行ったんです。そうしたら、とにかく素晴らしい店構えで、しかも華やかなシャンゼリゼ通りに面していて、すっかり気後れしてしまって。正直、入ることすらためらいました(笑)。
意を決して中に入っても、膨大な量のパティスリーが並んでいることに圧倒され、サロン・ド・テは満席で、サービスのスタッフたちが忙しげに動いていて、まるで魔法のようでしたね。私が働いていた、パン屋にお菓子が置いてあるような庶民的なブーランジュリー・パティスリーの世界とは全く違っていました。今でもよく覚えています。その後、他のお店やホテルで働きながらもずっとアンテナを張って、ラデュレに注目し続けていました。
――シェフにとって特別な存在だったんですね。そんなラデュレから、シェフ・パティシエをオファーされたときの気持ちは?
「自分はなんてラッキーな男だろう」と思いました。もちろん、今もそう思っています。
同時に、プレッシャーも湧き上がってきました。これまでも素晴らしいパティシエたちがラデュレのシェフ・パティシエを務めてきていますし、今回、新たにその役目を担う人間として、私のほかにもたくさんの素晴らしいパティシエたちがいるのですから。それでもやはり、ラデュレでシェフ・パティシエとして働けることは、とても光栄なこと。かなり早い段階で、ごく自然にオファーを受けることにしました。
――実際にご自身から見たラデュレの魅力とは?
サロン・ド・テ併設のパティスリーとして発展を遂げ、いまでは世界中の人々を魅了するブランドに成長していることは、本当に素晴らしいと思います。
歴史とともに継承されるフランスのサヴォワールフェール(ものづくりの知識や技術、ノウハウ)の象徴であり、フランス国内外にその伝統を広めることにも貢献しています。
そして、海外のお客様にとっては、ラデュレのシャンゼリゼ店を訪れることは、博物館や美術館を訪れるかのような特別な喜びになっている。そういう歴史あるメゾンで、たくさんのインスピレーションを受けながら、素晴らしいチームとともに仕事できるのは、幸せなことです。メゾンの伝統やDNAをリスペクトしつつ、時代の中で現れるさまざまな市場の変化や文化、お客様からのニーズや期待を盛り込み、繊細さや私らしいタッチをほどよく加えて、チームとともに新たなクリエイションを行なっていきたいと思っています。
2024.05.16(木)
文=瀬戸理恵子
写真=志水隆