自分をねぎらってやりたいです

 畑にもこの1年はあんまり出んようになっとります。何でかって? サボることを覚えたんでございます。金丸先生(近所に住む親戚の金丸純二さん。元学校の先生で、今は畑仕事を手伝ってくれる「弟子」)が畑の世話をようやってくれてじゃし、甘えておるんでございます。動こうと思っても、体が言うことを聞いてくれんようになって。

 それでもね、ちいと前まではこれじゃあいけんと自分を叱るもう一人の「鬼哲代」がおりました。しゃんとせえ! ってな。言い訳や横着しようと思えばいくらでもできる。甘えとったら、坂道を転げるように自分の力が落ちていく気がしてねえ。

 じゃが、それから二度入院して、いよいよ横着もんになりました。庭の枯れ葉がたまっとってもそっちを見んようにしたり、夏の草むしりも熱中症になっちゃいけんって先延ばしにしたりして。ついついサボる言い訳を探してしもうとるの。「鬼哲代」もしょせん弱っちいんでございます。

近ごろは、鬼は封印

 やっぱり年をとったなあと思うんです。それが本音でございます。103年も一緒に歩んできた体じゃけえな。叱るんも喝を食らわすんも、ちいとかわいそうな気がしております。近ごろは、鬼は封印して、「しんどいなあ、よう頑張っとるなあ」ってねぎらってやりたいと思うようになりました。

 本当は悔しいんじゃが100点のラインをぐんと下げて、ええじゃん、ええじゃんとヘラヘラ笑って過ごすようにしとります。できん、できんと嘆くんじゃのうて、ああ、これができた、あれもできたって、一つ一つに大喜びしながら自分を盛り上げるっていうんかな。悩んでもどうにもならんことは「仕方がナイチンゲール」と笑いに変えて、機嫌よう暮らすことが、らくに老いるコツじゃと思うんです。

 よし、おいしいお茶を淹れるぞ、みそ汁を作るぞって声に出して気合を入れて、一生懸命に取り組んでおります。この瞬間を大事に大事に生きていきたいです。笑って生きても泣きながら生きても、同じ一生ですね。最後にすがすがしいのはどっちでしょうか。

2024.04.05(金)
著者=石井哲代、中国新聞社