例えばAKB48のように何十人もいる中でセンターを取るとなると、競争が過酷ですし、ライバル意識も出るのかなと思いますけど、私たちは3人なのでバランスがちょうどよかったと思います。私はそれまで左サイドにいたのですが、真ん中に立つと両サイドにスーさん、ミキさんがいるので、安心感みたいのはすごくありましたね。

特に印象に残っているキャンディーズの曲とは?

――個人的に印象に残っている曲はありますか?

伊藤 私は、「やさしい悪魔」「春一番」「微笑がえし」です。「やさしい悪魔」は吉田拓郎さんに作っていただいた異色の曲でした。コーラスが際立つように、と拓郎さんが考えてくださって、それがうれしかったですね。この時、衣装も含めてガラッとイメージを変えたので、すごく印象に残っています。

 

「春一番」はもともとアルバムに収録されていた曲だったのですが、ステージで披露するとファンのみなさんの反応がすごく良かったんです。その声を拾い上げて、私たちからも「ぜひシングルに」とお願いしてシングル化が実現した経緯があるので、すごく印象深い曲です。今もとても盛り上がりますね(笑)。

「微笑がえし」はファンのみなさんのおかげでオリコン1位になれましたし、歌詞の中に過去のシングルのタイトルがちりばめられていて、最後にふさわしい曲でした。

キャンディーズはなぜ活動休止ではなく解散を選んだのか

 多くのヒット曲とコントも軽やかに楽しむ姿勢、そして熱いファンとの連携で一時代を築いたキャンディーズだが、77年7月に解散を宣言。その衝撃から、解散へのカウントダウンが社会現象になるほど盛り上がり、78年4月4日、後楽園球場の「ファイナルカーニバル」でキャンディーズは人気絶頂のまま4年半の歴史に幕を閉じた。

――解散が決まった時、ファンのなかには「活動休止じゃダメなのかな」という声も多くありました。

伊藤 そうですね。大人になった今の私があの立場にいたら、少しお休みをするという選択も考えたと思います。でも、あの時の私は、違う世界に行きたかったんですね。

2024.03.24(日)
文=佐藤 俊