今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主人公にもなっている紫式部。稀代のモテ男・光源氏を描いた平安文学『源氏物語』の作者はどんな人物で、『源氏物語』はどのように書かれ、読まれたのか。木村朗子さんの『紫式部と男たち』では、当時の政治システムと女が書いた物語の系譜からそれらを読み解いていく。
「まず摂関政治というものが分かりにくいですよね。権力トップの座を狙うのに戦をするのではなく、外戚として要職に就き実権を握るという変わったシステムです。娘を入内させ、天皇に気に入ってもらい、次代の天皇となる男児を産んでもらう。そのためには中宮に仕える女房たちを選りすぐり、優れたサロンを形成する必要がありました」
紫式部は、摂関政治の栄華を極めた藤原道長の娘・中宮彰子に仕える女房だった。評判だった中宮定子のサロンに対抗し、彰子のサロンを盛り立てるために、漢籍の素養がある彼女が取り立てられたのだ。
「紫式部が、漢学者である父に『男の子でなかったのが残念だ』と言われたように、漢籍は男が学ぶものとされていました。でも、中宮のサロンを文化的で洗練されたものにするためには学問の力が必要で、それで清少納言や紫式部のような学才のある女房が取り立てられたのです。藤原道長がパトロンとなって『源氏物語』を書かせたのも、一条天皇をはじめとする宮中の人々の心を引くためでした」
一方、摂関政治下では天皇の性愛はすなわち「性治」であり、貴族にとって婚姻とは政略結婚だった。その中で男性貴族が自由恋愛できる相手が女房たちだった。
「光源氏は正妻である葵の上付の女房たちと恋人関係で、訪ねて行っても葵の上が相手をしてくれない時に夜を共にしています。こうした男主人と恋人関係にある女房が召人(めしうど)です。こう言うとお手付きの女中のようなイメージを持たれるかもしれませんが、たとえば中務の君は光源氏のライバルである頭中将の誘いは断っていますし、これは純粋な恋愛なんです。女房たちは光源氏と恋愛をしても妻にはなれませんし、当時は通い婚で、会うためには男のほうから来てもらわなければならない。だから、光源氏の妻格の女君に仕えて、召人として恋人関係になるわけです。女房階級の女性たちが一番恋愛をしていたし、そんな女性たちが恋愛小説を書いていたのです」
2024.02.17(土)
文=「週刊文春」編集部