「きみはこれまで何曲弾いたことがあるんだい?」と問うマーティンに、わたしは素知らぬ顔で「10曲です」と答えました。それから1年、必死で15曲のソナタと格闘し、ヴェルビエ音楽祭へ向かいました。

 わたしは当時20歳。吸収力のある年頃にみっちりとモーツァルトに打ち込めたのは、いま考えると非常によかった。モーツァルトの楽曲はどれもシンプルに見えて、じつは内側にいろんな特質が埋まっています。遠近法が効いているといいますか、じっくり解釈していくと、絶妙なバランスで異質な響きや展開に出逢えるのです。一曲ずつ丹念に吟味する作業を繰り返すうち、曲の魅力を発見し引き出す能力が前よりも身についたのでしょう。近視眼的にのめり込むのではなく、客観性をもって楽曲全体を捉えられるようになり、そのことは多分にわたしの音楽の幅を広げてくれました。以降わたしは、モーツァルト以外の新しい曲に臨むときであっても、以前よりずっと多様なアプローチのしかたを考えられるようになっていったのです。

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 記事の全文は、藤田真央さんの初著作『指先から旅をする』(文藝春秋)に収録されています。

わたしの人生の節目には、モーツァルトが現れる——TV出演多数! いま最注目のピアニストの胸のうち〉へ続く

指先から旅をする

定価 2,200円(税込)
文藝春秋
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2024.02.14(水)
著者=藤田真央