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こうだと言い切ってしまいたくない欲求

 なるべくゴールはオープンにして、ピリオドは打たず、予測不可能な波に飛び込む。生き物に寄り添うように、生き物に伴走するように。それは全体を志向しないということでもある。むしろしたくないのだ。完成度よりも、紆余曲折して行きつ戻りつのプロセスのほうがつねに大事だと思ってしまう。

 人間は変化するし、いっときそういう姿に見えても、次の瞬間には変わる多面的なものだ。その変化や変貌を、そのままにとらえたい。こうだと決めて綴じ合わせれば、そのほうが完成された構築物として美しく、万人に受け入れられそうでもある。しかし、そうしたくないという力が働く。ドアを閉めずに開けておきたい。

 立ち止まってしまったわたしは、自分のなかのヤングケアラーの経験でさえ、こうだと言い切ってしまいたくない、意味をオープンにしておきたい欲求を抱えていることを確認した。自分のなかで結論がすでに出た、ある意味大文字になった記憶ではなく、どんな経験だったのか意味が定まらない、小文字の中間的な記憶が、自分を支えていることにも気づかされていた。

不確実性のなかに身を置く人

 ここまで書いてみて、これは「ケア」というものが抱える、本質的な感覚ではないかと思い至った。不確実性のなかに身を置くことに慣れなければ、病に付き添う日々はなかなか受け入れられない。ケア的主体とは、つねに変化のなかに身を置く訓練をしているということではないか。

 第2章のマナさんと第5章のかなこさんは原稿にゴーサインを出してくださったが、お二人とも、ケアの日々のなかで激しく感情を行き来させていた。

 ケアを必要とする精神疾患を抱えた家族は、彼女たちにとって傷であり、刃であり、深い穴である一方で、光であり、憧れであり、生きる意味だった。そして彼/彼女は自分自身であり、一方であまりに他者のようだった。その両者のあいだを行ったり来たり、激しく動き回るのが彼女たちの語りだった。変化の激しい色彩を何度も反転させていた。その色彩は、ケアをしてきた人たち、とくに精神疾患の家族のかたわらにいた人の一つの特徴のように思えた。

 自分はこうだと家族に対しての立ち位置を決めても、家族の症状が急変し、どうしても手を差し伸ばさなければいけなくなったときは、迷わず手を差し出す。一度固まったと思った自己を、いつでも転覆可能な可塑的状態にしておかなければ、精神的な上がり下がりという、謎の多い症状の波に対応できない。あるいは、いまの自分は可塑的なのだと言い聞かせなければ、環境の変化に応じて揺れ動く激しい自己を許容できないかもしれない。

2024.02.13(火)
文=中村佑子