機をみるに敏といえば体裁はいい。だが、裏を返せば恩義を打ち捨てたクーデター。大河ドラマが“悪辣”な蔦重をどう活写するか、見ものではある。

 特筆すべきは、蔦重の出した吉原細見が鱗形屋版を凌駕したことだ。

 まずサイズを大きく、見やすくした。判型拡大で1ページに入る要素が増え、結果としてページ数を減らし費用を抑えることができた。蔦重はその成果を値下げという形にも反映させた。

 たちまちにして蔦重版吉原細見はマーケットを席巻したのだった。

 この発想、この早手回しぶり! おそらく販売を手掛けた当初から細見改編を企図しチャンスを窺っていたに違いない。

 それでも、耕書堂はちっぽけな本屋でしかない。鱗形屋は歯噛みしただろうが、他の並み居る大手の本屋は歯牙にもかけていない。

「ふ~ん、吉原の蔦重って若いのが細見でいい商売をしたって? へえ~、そうなのかい」

 彼らは余裕綽々だった。少なくとも、この時点までは。

 

 今さらながら補足させてもらうと――江戸の大きな「本屋」は書店だけでなく出版社と取次(問屋)も兼ねていた。扱う本は「書物」と「草紙」に大別された。書物は神仏儒、古典、歌書、学問などのお堅い出版物。草紙といえば肩の凝らないジャンル、子ども向けの絵本に大人の娯楽本、吉原細見なんぞも含まれる。高尚な書籍は「書物問屋」、エンタメ本や浮世絵なら「地本問屋」が扱う。両者の区別はハッキリとつけられていた。

 蔦重の次の目標は地本問屋に成りあがることだった。

 とはいえ、地本問屋は書物問屋から格下に見られていた。というのも、地本の「地」には文化の中心の上方から遠く離れているという意味合いがある。地方とは田舎のこと、京・大坂からみれば江戸もまた関東にある地方。地本に地酒、地女……いずれにも軽視と侮蔑が漂う。上等、上質な書物は上方から江戸へ下ってくる。そうでないものは「下らない」のだ。

2024.01.06(土)
文=増田晶文