壮大なスケール感の中で生まれる一体感

 横暴な為政者に翻弄される物語は、吉野川に隔てられた両家で交互に展開されやがて融合していきます。川の流れを表現する“滝車”という古風な装置や“雛流し”と呼ばれる現実にはあり得ない光景が絵画的に詩情豊かに劇空間を彩ります。

「実際に雛鳥としてあの場に立ってみてふと思ったのは川幅の精神的距離です。雛鳥がひたすら久我之助に会いたいと願っている前半は非常に遠いけれど、物語が進んで気持ちが溶け合っていくうちにだんだん近くなっていく……。お客様にそんなふうに感じていただけたら、ある意味それは正解なのだろうという気がしています」(梅枝さん)

 両花道にはさまれた客席をも舞台からつながる吉野川の延長と見立てて進行するスケール感の中で、一観客としてその場に立ち会ってみると、梅枝さんの言葉は大いに頷くことできました。表面とは裏腹な心の奥底の思いが複雑に入り混じる深い親心、そして苦渋の決断の先にあるのは若者たちの清らかな死。その死が両家の間のわだかまりを溶解させ、残され親たちはひとりの人間として開放されていく……。

 その姿に感じ入ったかのように拍手がわき起こりました。物語の当事者たちが存在する舞台と客席を隔てていたものもいつしか消え去り、そこにいる者同士が一種独特の連帯感で結ばれたような思いでした。

「言葉では言い表せないような、客席の盛り上がりを感じています」(萬太郎さん)

 『妹背山婦女庭訓』は誰にでもわかりやすいとは言い難い作品かもしれません。「ぱっとすぐにわかるものが世の中にたくさんある中でこれだけの作品が残っているのは奇跡的なこと」と語る梅枝さんから、次のようなメッセージをいただきました。

「わかりやすくしてしまうのは非常に簡単です。ただ、ものすごく絡み合った糸を少しずつほどいていった先にしか得られない深い感動というものがあるのは確かです。『吉野川』の主役はあくまでも定高と大判事でそこが恋人たちをフォーカスした『ロミオとジュリエット』との違いでもあり、日本独特の複雑な心情が入り混じった作品です。そしてこの、言ってみればわかりにくいものを好んでご覧になっている方々がいらして、わざわざ外国からお見えになる方もいらっしゃる……。そこには何か理由があるはずで、それが何なのかを確かめにいらしていただけたらと思います」

 萬太郎さんが付け加えます。

「風化させてしまうには惜しい作品です。そこに立ち会えることになった役者一人ひとりがきちんと向き合い、未来へとつなげていけるようにしなければと思います」

 観客にとっても貴重な現場に立ち会うことのできる稀有な機会。じっくりと向き合ってみてはいかがでしょうか。

9月歌舞伎公演 通し狂言 妹背山婦女庭訓 <第一部>

会場 国立劇場 大劇場(東京都千代田区隼町4-1)
期間 2023年9月2日(土)~9月26日(火)
※11日(月)、19日(火)は休演
https://artexhibition.jp/topics/news/20230904-AEJ1572862/