2023年4~7月にCREA WEBで反響の大きかった記事ベスト7を発表します。カルチャー部門の第4位は、バレエ界の期待の星クララ・ムーセーニュさんにインタビューをしたこちらの記事!(初公開日 2023年6月12日)。

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 2020年に16歳で名門「パリ・オペラ座バレエ」に首席で入団したクララ・ムーセーニュさん。  同年に優秀な若手ダンサーに贈られる「ジュヌ・エスポワール賞」を受賞し、その後、17歳で「コリフェ」、18歳で「スジェ」と5段階ある階級を異例のスピードで昇進した。

 そんなバレエ界の期待の星が、この夏、パリ・オペラ座バレエの旬のスターダンサーが集結する公演「ル・グラン・ガラ」に出演する。

 まずはクララさんとバレエとの出会いについて伺った。

――“バレエ”に魅了された原体験について、どんな記憶をお持ちですか?

 私には2人の姉がいて、それぞれバイオリンとチェロやハープを演奏していたので、母のお腹にいる頃から音楽を耳にすることができる環境で育ちました。初めてダンスと出会った思い出は、“ダンス”というものを知らなかったのに、音楽を聴いたときに思わず身体が動いたことです。それが楽しくて、自分の中から“ダンスのようなもの”が出てくるのを感じました。

 その後、人形のバービーがバレエを踊る映画『くるみ割り人形(Barbie In The Nutcracker – Barbie Casse Noisette)』を観て、それがすごく好きで何度も繰り返し観ました。これは2歳半くらいの出来事なのですが、最近その映画を観る機会があって、物語の展開や音楽の記憶が甦ってきて、これは幼少の頃の自分が大好きだった映画だということに気づきました。その世界に浸っていたのが楽しかったんだと懐かしく思いました。

 香水の匂いで、その香水が好きだった人やシチュエーションなど思い出すことがあると思いますが、その映画を観たことが、私にとってまさに香水のような記憶の装置のようです。幼少期のバレエとの思い出が蘇ってきたことに自分でも驚きました(笑)。

――フランス医師の父、日本人の母、12歳上でヴァイオリニストの長姉と10歳上で弁護士の次姉というご一家ですが、幼少期はどう過ごされましたか?

 私が本格的にバレエを始めたのは8歳の頃からですが、それまではテニス、水泳、ゴルフ、空手、柔道といろんなことを試しました。姉たちは音楽の世界を選んだので、私も姉を真似てチェロやヴァイオリンを持とうとしたこともありましたが、長くは続きませんでした(笑)。

 結局、私はダンスを選びました。母は一つの道だけでなく、いろんな世界を見せてくれたので、その中からバレエという道を自分で見つけることができました。毎日ダンスをして、本当によかったという思いはあります。

――9歳でパリ・オペラ座バレエ学校に入学されましたが、どんな学生生活でしたか?

 パリ・オペラ座の学校に入る前はロンドンに住んでいたこともあって、当時の私はそんな学校があることも全く知りませんでした。最初に書類選考があって、それに通過すると、身体条件や音楽性の確認、また実際のバレエレッスンによる審査があります。

 合格したときはとても嬉しかったです。ロンドンにいるときも「ロンドン・ロイヤルバレエアカデミー オブ ダンス」に在籍していたのですが、そこで教わったのはバレエのポジションやステップといった基礎的なことではなく、“川の上を飛ぶ”とか、与えられたことをイメージしてそれぞれが表現するという内容でした。バレエダンサーのスターを育てるというより、みんなでダンスを楽しめるという環境だったと思います。

 一方で、パリ・オペラ座バレエ学校は、普通の学校とは違って、午前中は、一般教養の講義が集中的に行われ、13時半から18時まではダンサーにとって必要な知識を学ぶ講義や実技レッスンでした。

 ずっと踊ることができて楽しかったですし、パリ・オペラ座バレエの公演に『くるみ割り人形』や『ドン・キホーテ』などに子役として出演して、一緒に踊る機会もありました。憧れのダンサーの皆さんと共演させていただいて、ツアーにも参加してデンマークのコペンハーゲンで『パキータ』に出演させていただけたのは、自分にとっていい経験をさせていただいたと思います。

 そして少しずつ学校がどんな世界なのかがわかっていくのですが、試験に合格しなければ退学になってしまうというピラミッド型のシステムでしたから、常に自分も成長しなければならないことにも気づきます。成績は上がっていったので、自分が進むべきなのはバレエダンサーとして歩む道なのだと進路を絞っていくような感じでした。

――コロナ禍で本来は7月に行われるはずの入団試験がキャンセルになったそうですが、試験が実際に行われるまではどのように過ごしていましたか?

 あの時は、世界中から観光客が集まり賑やかなパリが、まるでゴーストタウンみたいになっていて、ゾンビ映画を観ているかのような気持ちになりました。不思議な世界でした。

 コロナ禍の間はほとんどの時間を家で過ごしていましたが、家族と一緒にいられることをとても楽しめました。バレエ学校に入ってからは朝と夜にしか家族と会えなかったので、普通の生活ができたという思いもありました。子どもの頃の自分に戻ったような感じでしたね。

 そういう状況下だったので、すべての公演がキャンセルになってしまいましたし、パリ・オペラ座バレエの入団試験がいつ行われるのかは全く見えませんでした。どのようにして自分を見せられるのかということにも迷いがありました。

 しかし入団試験に向けて準備をしなければならず、このとき授業はすべてZOOMだったので、自身で体を鍛えなければなりませんでした。そして10月に試験が行われ、ありがたいことに首席で入団することができましたが、この入団試験があったこと自体が奇跡だったと思っています。通常では入団試験後にバカンスがあるのですが、試験の時期が遅れたのですぐに踊る機会をいただきました。

2023.08.18(金)
文=山下シオン
写真=佐藤亘