直木賞受賞作の『恋』をはじめとして、長編作品で多くの文学賞を受賞してきた。だが小説の単行本デビューは短編集で、初めての文学賞受賞となった日本推理作家協会賞は短編部門での受賞だった。

「長編も短編も、両方好きです。ただ、長編はどうしても構想を練って、書きあげるまで数年単位になってしまうから、短期間で書き上げることができる短編のほうがすぐにカタルシスを得られますね。出来上がった時の満足感、カタルシスの味わい方は長編と短編ではまったく違います。長編で書くべきものを、縮めるようにして短編にしてしまうようなことはないですね。

 幸いにして、わたしは小説家としてはミステリーから出発したのが、短編の勉強になりました。短編ミステリーの構造は、定型とまでは言わないけれど、基本はオチがないと面白くない。短編小説をミステリー的に成功させるために、いやというほど勉強したんです。当時は翻訳作品を手本にすることが多かったけれど、あれがすごくいい糧になっていますね。

 ミステリー以外の短編も、オチがつかないだけで同じです。わたしは作者の心の風景を抽象的に描いていくだけの短編があまり好きではなくて、やっぱり物語がきちんとあって、読者がそれを追いかけて行き、ああこの作品はよかったな、と長く心に残されるようなものを書きたいと思っています」

 小説家デビューから38年、数多の作品を生み出してきた。物語の「タネ」は尽きないのだろうか。

「じつは創作ノートがあるんです。思いついたことを全部、書き留めていて。日本推理作家協会賞をいただいた1980年代後半くらいから始めて、もう何冊にもなりますね。短編用、長編用と分けているわけではなく、外を歩いていて見かけたシーンとか、わたし自身の心の中をふっと通り過ぎていった想いとか、なんてことないもの、本当に些細なことをメモしています。映画を見ていて登場人物がしゃべった台詞とか、情景とか、人の本を読んでいて気に入ったフレーズとか……なんでもあり。最近では、自分が見た夢の話をよく書いています。枕もとにメモ帳を置いてあって、夢を見てパッと起きて、忘れないうちにその場でメモしてまた寝る、なんてこともあります。

 その創作ノートは、長編、短編にかかわらず、うまく書けなくて詰まったときにパラパラめくっています。あ、このネタはいま書けるな、というのを見つけて、そこから物語を膨らませることが多いかな。とはいっても、使えるのはせいぜい1割か、よくて2割」

 作家の創作ノート。ぜひ、拝見したいものだが……。

「あんな恥ずかしいものないですよ! 絶対見せない。あれは死ぬ前に処分しなくちゃ(笑)」

2023.08.02(水)